具体的な「部分」を大切に、世界の「全体」を考える<前編>
小倉ヒラクさん(発酵デザイナー)
微生物のちからを使いこなすことで、人間は社会をつくってきたーー文化人類学や微生物学を学び、発酵デザイナーとして独自の活動を続ける小倉ヒラクさんはそう語ります。人間に役立つ微生物の働き=発酵を通じて見えてきた社会の姿とは。また、酵素についてはどのように捉えているのでしょう。山梨県の活動拠点を訪ねて、じっくりお話を伺いました。
文/神吉 弘邦 写真/桑嶋 維(怪物制作所)
text_Hirokuni Kanki
photos Tsunaki Kuwashima(KAIBUTSU)

「発酵デザイナー」を名乗ってお仕事をされている方は、他にはいらっしゃらないですよね。

小倉さん

もともと僕はグラフィックデザイナーだったんです。プロダクトや建築、映像などの領域を横断しながらデザイン活動をしていました。その中でも、地方の伝統産業や食に関わる課題などをデザインによって解決していく仕事に多く関わっていました。東京から地方に何度も通って、長靴を履いて森に入ったり、田んぼに入ったりしながらデザインしていたんですよ。

小倉ヒラクさん/1983年、東京都生まれ。発酵デザイナー。早稲田大学文学部で文化人類学を学ぶ。在学中に絵の勉強のためフランスへ留学。卒業後は企業で働きながら東京農業大学の研究生として発酵学を学ぶ。2014年、食の楽しみを絵本とアニメで伝える『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014受賞。同年、あらためて東京農業大学醸造科の研究生になり微生物学を学ぶ。独立後は山梨県甲府市の老舗味噌屋『五味醤油』ホームページなどをデザイン。山梨県の山の上に発酵ラボをつくる。2018年から47都道府県を旅し、日本の「超ローカルな発酵文化」を発掘。2019年に渋谷ヒカリエで『Fermentation Tourism Nippon 〜発酵から再発見する日本の旅〜』を開催し、3万人以上の来場者を数えた。

最初は都会でバリバリ働いていたんですね。

小倉さん

でも、駆け出しのデザイナーだった20代半ばぐらいで身体を壊してしまいました。たまたま発酵学の権威である小泉武夫先生にお会いしたら、「あなたは身体が弱いんだから、発酵食品を食べないと倒れちゃうよ。毎日お味噌汁を飲んで、お漬物と納豆を食べなさい!」と半ば脅されて(笑)。素直に伝統的な和食を食べ始めたら、確かにちょっとずつ元気になっていったんですね。

その効果に驚きましたか?

小倉さん

ただ、発酵食品は薬じゃないから口にしてすぐ症状がなくなることはありません。ずっと食べる習慣をつけていくうちに自分の体質が変わり、基礎体力が上がっていく感じです。だからこそ、これは非常に面白いぞと思って、そこから小泉先生たちの本を読んだり、夜中にこっそり味噌を仕込んだり、独学で発酵のことを学び始めたんです。

なるほど…ヒラクさんはまず実体験から、酵素の力を意識するようになったんですね。発酵の力は微生物の中に隠れている僕たち酵素の力なんですけどね。

小倉さん

そうなんです。独立後にはお味噌屋さんのデザインの仕事をすることになりました。蔵に入って、初めて微生物の存在を間近に感じていくわけです。それがメチャメチャ面白かった!「どうやら僕はデザインより、微生物のほうが好きかも」ということに数年かけて気づきました。本当は東京のオシャレなデザイナーになりたかったはずなんですけど(笑)。

そこから醸造屋さんのパッケージやブランドのデザインだとか、食育のプログラムをつくる仕事などが始まりました。ソーシャルデザインの仕事でも、そういう視点で全国を回っていると、どの土地へ行ってもすごく風通しが良い場所や町の起点となる場所に、立派なお醤油蔵とか味噌蔵などがあることに気づいたんです。

東京農大で研究生にもなりましたね。

小倉さん

勤め人の時代は研究生でしたが、会社を辞めてあらためて大学に入り直したんです。その頃にはさきほどの小泉先生は退官されていたから、下の代の先生たちに預けられて2年ちょっと微生物学と化学の基礎を学びました。そうして、今の発酵デザイナーという仕事をスタートすることになったんです。

発酵研究者ではなく、発酵デザイナーになった理由

そのまま、研究者になろうとは思わなかったんですか?

小倉さん

発酵の世界って、研究の前段階のところにも結構ニーズがあります。研究に入る前にとりあえずめどを付けるとか、体形化するとか、そういうフィールドワーク的な作業がいっぱいあるんですよ。僕は農大の先生たちからバックアップも受けて、そういう仕事をだんだん任されるようになったので、研究者の道には進みませんでした。

小倉さん

なのでその頃から僕は半分は在野のような、半分はアカデミアのような不思議な仕事をいっぱいこなしました。すると、いつの間にか「いわゆる研究者じゃないのに、やたら世界中に行って変なものを探し歩いているヤツがいる」と認識されるようになったんです。

世界中の変なもの…それってもしかして僕に関係することですか(笑)

小倉さん

ええ。いろんな研究者と一緒に、全国各地、世界各地の「謎の発酵物」を調査・取集して解析する仕事です。例えば、伊豆諸島の青ヶ島を訪ね、野生の微生物だけで醸す「青酎(あおちゅう)」という珍しい焼酎づくりを体験させてもらい、そこから鹿児島大学の焼酎研究者のチームと青酎の成分分析のプログラムを行いました。

ほかで言うと、徳島県とは「藍染め」にまつわる発酵技術を解析して、今まで職人の経験則に依存していた藍染めの製法を、もっとオープンにしようとするプロジェクトも手がけました。

ああ、ヒラクさんの取り組み方って、とても興味深いです! というのも、天野エンザイムの研究者さんたちの場合、まず見つけてきた微生物をすべてバラバラにして「さて、それぞれどんな働きをするんだろう?」を化学の方法で探ります。でもヒラクさんの場合は違って「生活の中でいい働きをしてきたもの」から分析していくって方法なんですね。

小倉さん

そうですね、例えば、青酎では分析の仕方の可能性が2つあったんですよ。青酎の野生酵母は「アスペルギルス・リューチューエンシス(Aspergillus luchuensis)」という黒いカビが主体で、ざっくりカビを分離するところまではやれました。そこから微生物の働きを分析するのか、香気成分という代謝物を分析するのか、どっちかを選ばなきゃいけないことになりました。そこで僕は香気成分の分析を選んだのですが、それはすごく単純な理由で「焼酎を飲む人にとって、そっちのほうが大事だから」です(笑)。

そういうとらえ方が、サイエンスとアートやデザインの違いなんだろうなあ。どちらがいいというわけではないけれど、ヒラクさんの生活する人の気持ちを出発点にするやり方は、特に「食」の研究などでは大切になってくる気がしました。サイエンスは究極、真実の追求が大切で、社会の役に立つ必要は必ずしもないって考えているところありますから。

小倉さん

僕自身は、酵素くんが言うようなオーソドックスな方法――単離してから、切り刻んでいく、要は再現性の高い法則を見つけていく手法――を知識としては持ってるので、やはりそれが分析の基本だと思っています。

そのうえで、自分のアイデンティティーに影響しているのが、やっぱり「デザイナー」だということです。まずは使う側、ユーザー側の視点でものを考えちゃう。でもそうやって、微生物の世界と人間の世界っていうだいぶ違うレイヤーに、橋を架けるコミュニケーションに取り組んできたのかなと思います。

小倉さん

僕は「麹づくりワークショップ」もずっとやっていて、今まで海外の人を含めて1300人ぐらいに教えているんですよ。麹というのは、日本で伝統的に愛用されている、穀物にカビが生えたものですね。そのきっかけは、農大時代に師匠から、素人でも安定して「麹」を培養できる方法を考えなさいと言われたからなんですが、そこから朝から晩まで、ひたすらカビのことを考えました。その結果、100円ショップで売っている材料だけで麹をつくるメソッドを開発したんです。これならみんなに体験してもらえるでしょ。

そしてその方法をみんなに伝授するとき、ただ発酵とか微生物の化学的な仕組みを説明するだけではなく、発酵の奥深さとか、文化とか、いろんな産業における影響も総合して伝えたくて、『発酵文化人類学』という本を出し、ありがたいことにヒット作になりました。

『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』
月刊「ソトコト」に連載された「発酵文化人類学」の単行本化。発酵と腐敗を分けるもの、発酵菌と酵素の違いなど基本的な知識を伝えながら、徐々に「ヒトと菌の贈与経済」(第4章)、「醸造芸術論」(第5章)といった章で人間社会への考察が進んでいきます。
サイエンスにこそ、アート的な視点が大切

小倉さん

僕はアートやデザイン畑なんですが、小さな頃から実はパソコンおたくだったので、コンピューティングのこともいろいろやってきました。だから、微生物とか発酵をテーマにした技術開発にも関わります。例えば「発酵をテーマにした家電」をつくるとかですね。

発酵と家電製品。これまたおもしろそう。

小倉さん

『NukaBot(ぬかボット)』という、人間とコミュニケーションできる「妖怪のロボット」をドミニク・チェンさん(仏)、ソン・ヨンアさん(韓)たちと共同で開発しています。ぬか床には多様な微生物がひしめいていて、それらの反応をデジタルセンサーで読み取り、小型コンピュータで解析することで、「腐っている」とか「おいしい」というフラグがわかりやすく立つアルゴリズムをつくったんです。

発酵がヘンな方向にいくと酸化還元電位がマイナスになって腐ってくるんですが、そうするとその妖怪がパチッと目を開け「そろそろ混ぜろ」みたいに要求してくるんですよ(笑)。

「NukaBot」
微生物が人間に話しかける発酵ロボット。イタリアで開催されたミラノ・トリエンナーレ「Broken Nature」展(2019年)にも出展された。開発:ドミニク・チェン(フランス)/小倉ヒラク(日本)/ソン・ヨンア(韓国)、デザイン:守屋輝一。

小倉さん

逆に、pH値が酸性になって「いい香りが出ています」みたいな状態になったら、今度は「おいしい」フラグが立って「そろそろ食べ頃だよ」と教えてくれる。そんな風に、人間と微生物がデジタルテクノロジーを介してコミュニケーションできるデバイスをつくったんですね。

かわいい!そのロボットは手づくりですか?

小倉さん

3人の研究者で安いセンサーを探してきて、自分たちで組み合わせて全部手づくりしました。味覚テストでは、ぬか漬けをひたすら食べ続けて(笑)それをスコアリングして最後統計を取り、データの旗を見つけていきました。だからNukaBotには、微生物学とコンピューティングとデザインがクロスオーバーしています。

デバイス自体も大事だけど、「木桶妖怪」みたいな見た目にするのが大事なんですね。そのことによって人間が愛着を持ち、コミュニケーションしたくなる。今、サイエンスのある領域では人間の直感といったアート的な観点と、DNAをそのまま全部解析するようなコンピューティング的なアプローチが合体してきているところがあると思うんです。

科学にこそ、人間の直感が大事というのは、よくわかります。酵素の研究者も、いつも同じように酵素ができるわけじゃなくて、「今日は培養液がちょっと変なニオイがする」とか「この感じは良くないから気をつけなきゃいけないね」なんて話していて。よく、人はものが腐っているかどうか「ベロメーター」で見ると言いますけど、それはきっと正しいのかも(笑)。同じ酸っぱいものでも、ヤバッと思う酸っぱさと、大丈夫な酸っぱさは違ったりしますからね。

小倉さん

そう、今の時点だと「おいしさ」って定量化できないので、NukaBotのときも「やっぱり人間の舌でいいんじゃない?」という話になりました。でも、そのデータが半年分といったすごい量で貯まると、何かの傾向が見えてくるんですね。人間の直感的な感覚と、データサイエンスはけっして矛盾するものじゃない。どっちも使えば非常に面白くなると感じます。そういうテーマだと、まさに発酵は今、一番面白い現場だと思うんです。

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。