文/神吉 弘邦 写真/桑嶋 維(怪物制作所)
text_Hirokuni Kanki
photos Tsunaki Kuwashima(KAIBUTSU)
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2019年に渋谷ヒカリエで開催した『Fermentation Tourism Nippon 〜発酵から再発見する日本の旅〜』展は、大変な話題になりました。約3カ月の期間中、3万人を超える来場者があったとか。
各都道府県の発酵食品が展示されていて、見たこともないようなものもたくさんあって。僕も観に行ったんですが、「日本中にこんなに多様な発酵食品があるのか!」って驚きました。
小倉さん
自分でも「よくこんなマニアックな展覧会できたな」と若干あきれ気味でしたから(笑)。「海藻を発酵させたものなんてあったの!?」という具合に、初めて知って展示したものが多かったです。日本にはこうした「カテゴライズが不可能な謎の知恵」みたいなものが超いっぱいあって、それをつくり上げてきた歴史が非常に面白いんですよ。
しかも、展覧会に出したもので科学的にきちんと体系化されているものは、まだかなり少ないんです。ご先祖様がいろいろ残してきたものが、どういう合理性を持っていたかを突き止めていく、それが僕らのこれからの宿題だと思うんですね。
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展覧会の後、小倉さんは「発酵デパートメント」(東京・下北沢)というお店もオープンさせましたね。
小倉さん
「誰でも来たくなり、誰でも発見があって、エンターテイメントとして成立するお店」を考えました。発酵食品は、生活の中で使ってもらってなんぼのものだから、ラボのように整然と並べるのは良くないなと思ってお店のかたちにしたんです。
食の世界で発酵食品に対する関心はますます高まっていますが、最近は「調理ってどういう行為だろう?」というテーマをいろんな切り口で考えるフードテックという動きが出てきていますよね。シリコンバレーのIT系の人たちがそんな本を書たりしていますし。
小倉さん
酵素くんが言った本が、ちょうど本棚にあります。オライリーという技術書の出版社から出た『Cooking for Geeks』という本ですね。料理をコンピューティングや化学の方法論で分解したらどんな面白さがあるのか、という内容です。ITの世界に触れてきた人たちが得意な「分解して、組み立て直す」という方法で料理を解釈すると、単純に「おいしい」「伝統だから面白い」で終わらない価値を発見できるんじゃないかという期待があると思うんです。つまり、食を通して「自分の解像度を上げていく」という考え方ですね。
あとは今、若い人たちもみんな健康を超気にしている(笑)。昔は「楽しく生きているなら、健康なんてどうでもいい」みたいな風潮があったかもしれないですけど、若い人の関心が定量的な成功から、「自分がいかに納得できる意味のある生活を送れるか」に変わっているんじゃないか。それを追求するための土台って、絶対に健康ですから。
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このウェブマガジンも「この世界って、本当は見えないものがまだまだいっぱいあって、そこに対する解像度や好奇心が上がっていくと、より楽しく生きていけるようになるんじゃないかな」というメッセージがあるんです。そして、天野エンザイムの中にもさらなる見えない世界を探る「菌ハンター」の方たちがいるんですよ。
小倉さん
やっぱり、そういう人たちがいるんだ。いいな、僕、そのハンティングの旅に付いて行きたい(笑)。
菌ハンティングに行くなら、今、どこに行きたいですか?
小倉さん
う〜ん、南極かな? 極限環境微生物というカテゴリーがありますが、学会の会報誌には「こんな場所にも生物がいる」「地球物理の定説をくつがえしそうな地中生物たちがいっぱいいる」「こういう資源活用が見込める」といった内容が毎号のように書いてあるんです。僕も「いつかこんな旅に行きたい!」と思って読んでいるんですよ。
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小倉さんは発酵をテーマに活動をしていますが、「酵素」というものをどのように捉えていますか?
小倉さん
こうして今日は「酵素くん」とお話ししているわけですが(笑)、酵素って、本当は擬人化するのが難しいです。それ自体が生きているように錯覚してしまうじゃないですか。でも、本来の酵素とは生物が使う道具。切ったり、くっつけたりするもの。だから、擬人化してキャラクターにするなら、酵素の道具を次々取り出してくれる魔法使い、例えば「ドラえもん」みたいにするといいのかなぁ。キャラクターが出す「ひみつ道具=酵素」みたいなね。
それはとっても面白いアイデアですね! 今から僕のキャラクター設定、変えられるかな?(笑)
小倉さん
酵素って、今はどうしても「栄養」とか「食べもの」みたいに捉えられがちです。そして僕自身は素人ですが、たまに酵素のことを話さなきゃいけないときがあります。そんなときは、みんなの先入観を外すために、この世には「物理世界」と「生物世界」という2つの世界があると言います。地球環境は特別で「物理と生物の世界が重なり合っている珍しい世界だよ」というところからお話しするんですね。
小倉さん
物理世界は、物理の力しか働かないシンプルな世界。おそらく宇宙全体がその範疇(はんちゅう)です。でも地球だけがこんなにいろんな生物がいて、複雑な大気がある。それは、生物がこの環境をつくり上げてきているからです。「その鍵になっているのが『酵素』なんですよ」と話すと、みんな「えっ!?」と驚くんですね。「酵素ってそんなにカバーする範囲が広いの?」「健康にいいものとかじゃなくって?」と(笑)。
ヒラクさんの言うように、地球って「化学反応の連鎖の場」なんですよね。ものすごく大きな化学反応の輪がある世界。人間もその輪っかの中で生きているし、多くの生物もどこかの輪っかで生きています。そういう化学反応のコミュニティの中に酵素の働きがあって、それで命をつないで……ということが、全部その中で起きているんですよね。
小倉さん
そうです。だから、発酵の話もある程度のレベルまで突き詰めていくと、結局は酵素の話になっていきます。麹づくりのワークショップでも、やる気のある人たちに話すときは、「これは酵素のデザインなんだ」と説明していますから。
具体的に麹をつくるには、蒸した米にカビをくっ付けて、その後に保温して、温度管理していきます。「何のために温度管理するのか?」と言えば、温度によって酵素というもののスイッチが入ったり、切れたりするからです。
まさにその通りです! 酵素の働きをつかさどるのは、温度ですからね。
小倉さん
そう、ニホンコウジカビ(Aspergillus oryzae)って大きく分けると本当は100種類ぐらいあるけど、すごく乱暴に分ければ「アミラーゼ」群と「プロテアーゼ」群になるじゃないですか。
「温度をコントロールしながら、甘味をつくる酵素(アミラーゼ)と旨味をつくる酵素(プロテアーゼ)を切り替えていき、味のデザインをしていくんだ」といった説明をすると、みんな酵素の意味がだんだん分かってくる。
小倉さん
僕の講座を受けている人たちは、前半戦にプロテアーゼ、後半戦にアミラーゼ、同じアミラーゼでもα-アミラーゼが最初で、次にグルコアミラーゼにバトンパスして……みたく働きごとに酵素の名前を念仏のように唱えながら麹をつくっているんですよ。
はた目から見るとアヤシイですね(笑)
小倉さん
そう、そう(笑)。ただ、やっぱりお味噌づくりにしても、酵素を「栄養」みたいなパラダイムでは語らないほうがいいと思っています。化学変化を起こすもの、物理世界とは違うルールで化学変化を起こすトリガーみたいなものだというイメージで話すと、発酵のことを深く知ってもらえるな、という手応えがあります。
ある原料があって、それが発酵して、最終的に何になる、といったことも全部がひとつながりで、そこにそれぞれの地域の文化や歴史があるんですよね。そういうことへの視線を「解像度」を高めて楽しんでいくと、発酵って本当に面白い。そこからさらに、僕たち酵素を追求していくと「そもそも食べるってなんだろう」「生物ってなんだろう」「地球って何だろう?」というところにまで深まっていくのかもしれません。
小倉さん
いやいや、まったくその通りです。地球環境は、物理の化学反応に加えて、酵素による生物の化学反応が絡み合っている非常に多様な世界ですから。発酵が面白いのは、その複雑な化学反応のチェーンを生活の身近な例から知ることができることですね。
小倉さん
こんな話があります。20世紀前半、ブロニスワフ・マリノフスキーという文化人類学者が、パプア・ニューギニアの少し上にあるトロブリアンド諸島に行きました。そこで彼らが見たのは、同じ貝殻の首飾りをただ島から島へ、何年もかけてグルグル回していく、「クラ」という贈物を交換する儀式です。その構造が「化学反応の輪」にとてもよく似ていると思うんですよ。
小倉さん
どこが似ているかというと、ただ回り続けているだけで、ある物質が役に立つとか、役に立たないとかということには、あまり意味がないんだということ。おそらく生態系が最適化されているのは、ひたすら化学反応のチェーンがグルグル回り続けているから。そして、そんな風にただ意味もなくグルグル回り続けていくというモデルが、人間の脳では認知しきれないんですね。
す、すみません。それって、どういうことですか?
小倉さん
僕は書評を連載しているのですが、最近『種の起源』を取り上げました。Amazonで『種の起源』のレビューを見ると「何を書いてるか分からない」という人が多かった。ダーウィン自体はそんなに難しいこと言ってないんです。それでもなぜ理解されないのか。
それはダーウィンが、意味というものをいったん「ないこと」にして、フラットな目で生物の法則を書いているからなんですね。ダーウィンって相当変な人で、頭がいいとか悪いとかじゃなくて、意味というものがなくても思考できるという特殊な才能があったんです。
ああ、人間の常識は、意味がないってことに耐えられないんですね。どうしても意味づけしてしまう。
小倉さん
そう、人間には認知の偏りがあって、絶対に意味を求めてしまう。普通の人間は、意味もなく物事がグルグル回り続けるとか、ただ「そこにあること」だけが機能としての意味を持つ――本当はそれも意味じゃないんですけど――みたいなことが分からない。「意味を外した世界」は認知できないんですよ。
小倉さん
化学反応が繋がってチェーンになっていく、地球全体を化学の場として見立てる世界観って、ダーウィンみたいな特殊な能力を持っている人じゃないと、そのままでは絶対に人間の脳みそには入りません。そんな認知能力の限界を感じてしまうときにこそ、インターフェースが必要になると思うんです。そこに発酵を持ってきてあげると、比較的、説明がしやすいのではと。
化学反応のチェーンが認知できる、っていうことですね。
小倉さん
そうです。そこでデザインの出番になると思っています。デザインには、今まで認知できていなかったものを、「部分」から「全体」を見られる領域に持っていける力がある……ものすごく難しいですけどね。
地球全体のチェーンとか、生物の進化というものは、何でも意味づけして考えたり、自分に関わりあるものだけ優先的に考えたり、といった人間の「認知のクセ」からは完全に逸脱した世界です。そうやって認知能力を超えた話をすると、ほとんどの人が脱落しちゃう。だから、僕は物理全体のことを話すよりも、発酵という「部分」から、世の中の「普遍」にアプローチしていこうと考えているんですね。
小倉さん
だからこそ、発酵のことをなるべく具体的に話して、子どもたちにも「こうやったらお味噌がおいしくできるよ」「酵素ってこういうものだよ」と頑張って伝えることにこだわろうと思うんです。
あの「できるだけ具体的な話をすること」と「やさしく分かりやすく教えること」の間に、どんな違いがあると思いますか?
小倉さん
そこなんですよ。科学の発展によって19世紀後半から20世紀にかけて築かれたこの新しい世界観は、あまりにもそれまでの人間の「認知のクセ」を超えすぎていた。だから「サイエンスコミュニケーション」のようなニーズが出てきた。でもそうした「科学を一般にやさしく伝える」という手法が陥りやすいワナが「分かりやすくすれば伝わる」という誤解です。実は、分かりにくいから伝わらないんじゃなくて、人間の認知のクセを逸脱しているから伝わらないんだ、というのが前提なんじゃないかと個人的には思います。
小倉さん
そのあたりの問題を工夫して解決するために、僕はやっぱり、デザイン的な方法論でインターフェースをつくるところに頭を使おうとしています。
いま見えているものが不可解で分からなくても、「こういう風なものの見方をしたら、実は説明できちゃう」といった例がいくつも発見されてくれば、人間も認知のクセから抜け出せるかもしれませんね。
小倉さん
そうですね。そういうものを「俺、よく分かんねぇ」じゃなくて、「面白い!」と思ってもらえるような工夫がすごく大事になると思います。
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最後にぜひ、これからの予定を教えてください。
小倉さん
2022年の7月からは、ヒカリエでやった展覧会の巡回展を、福井県(あわら市「金津創作の森美術館 アートコア」)でやります。前回のヒカリエの展示では「子どもたちが楽しめる内容」があまり盛り込めなかったのが心残りだったんですね。それは、僕のエネルギーが足りなかったこともあります。
Fermentation Tourism Hokuriku ~ 発酵から辿る北陸、海の道
https://sosaku.jp/event/2022/fermentation-pr/
でも今回は、なんと会場が4倍以上の広さになるので、今度こそ「子ども発酵ミュージアム」みたいなものをやりたいと思っています。そのときには酵素のことをきちんと説明しなければいけませんね。だって、子どもって目に見えないものがめっちゃ好きですから!
それが実現したら、すっごくうれしいです!!今からどんな展覧会になるのか、本当に待ち遠しいです。
今日のお話から、たくさんのヒントをいただきました。小倉ヒラクさんのテーマは発酵なので「菌」ですが、私たちが取り組んでいる酵素とも表裏一体のところが多くありました。
微生物という存在と、酵素というものの存在。それらをベースにした「地球の化学のネットワーク」みたいなものがある。そんな世界観の中、微生物も酵素も、人間も、それぞれ働き場所を探して頑張っている姿が浮かびます。
こうしたイメージをベースにして、私たちも独自のワークショップを考えていければいいのかなと思いましたし、「どういうインターフェースにすれば、酵素についてより分かってもらえるのか」というアイデアにつながっていくかもしれません。同じ世界観を共有する「同志」として、小倉さんとはこれからも何か一緒に形にできれば幸いに思います。
この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。