文/神吉 弘邦 (写真提供:藤井 一至)
text_Hirokuni Kanki
ー
窒素の循環サイクルには、私たち人間も組み込まれていますよね。
藤井さん
私たちの身体はタンパク質ですし、肉や魚からタンパク質やアミノ酸を摂取する必要があります。窒素肥料をまいたうち農作物に吸収されるのは40%ですが、お肉の場合は10%くらいにまで下がってしまいます。そのくらい、私たちは畑にまいた窒素を回収できていないんですね。この低い利用効率を高めることは重要で、そこでは土壌微生物がカギを握っています。
藤井さん
この土壌微生物を飼いならすのが農業の理想ですが、簡単ではありません。微生物と植物が窒素を取りあって、植物が枯れてしまうこともあります。
ー
そこでは何が起こっているんですか?
藤井さん
新鮮な稲わらをドンと入れたりすると、増殖した微生物が取り込んだ窒素を外に出そうとせず、植物が枯れてしまうのです。土の中では、タンパク質がアミノ酸になる。アミノ酸が尿素になる。尿素がアンモニアになる。アンモニアが硝酸になる。それをスムーズにできれば、作物の生育は良くなります。
ところが、土の中ではいろんな微生物や酵素が関わっていて、条件によって違う微生物が足を引っ張ります。畑の土の肥沃度を制御するのはすごく難しく、それゆえに、やりがいがあります。
土の中でタンパク質をアミノ酸に分解するにはどうすればいいのでしょう?
藤井さん
微生物がタンパク質をアミノ酸に分解しようと酵素をつくるときは、たいてい窒素がなくて困ったときです。窒素があると思うと、次のアミノ酸を作ろうと思わない。会社にたとえると「お給料をたくさんもらうようになった社員が次の仕事をしなくなる」みたいな現象が起こるわけです。
ー
人間くさいたとえですね(笑)
藤井さん
一方で、微生物がアンモニアをスムーズに放出してくれる条件は、土に窒素が多いときです。つまり、タンパク質をアミノ酸にするという上流部分が活性化する条件と、尿素からアンモニアにしてどんどん身体から出そうという下流部分が活性化する条件が、まるで逆です。全然違うところに酵素反応のスイッチボタンがあるのです。
ー
正反対だから、たしかに畑へ窒素をどれだけまくか難しいですね……。
藤井さん
酵素もタンパク質ですから、それを作るという行為は微生物にとっては窒素という「資源」を投資するという一大事です。増殖できるかもしれない資源でわざわざ酵素を作るのは、かなりのリスクだと思います。そのため、微生物がタンパク質を分解する酵素を作りたいと思う条件を畑の土に整えてやる必要があるのです。
その酵素をつくるためのスイッチが微生物にはあるんです。微生物は土壌に含まれている栄養となる物質に応じて酵素を出していくんだよ。最初は分解しやすいデンプンやアミノ酸から、次にセルロースなどという風に分解しやすいものから分解しづらいものまで栄養をとるために作る酵素を変えていくんです。
藤井さん
微生物たちは土の中でそんなにハッピーじゃなく、たいていエネルギー不足です。最初に言ったように、土は「食べ残し」ばかりなのでエネルギーが足りない。そこに例えばグルコース、おいしい糖(炭素)をドンとあげると、微生物は喜んで増えます。
すると、彼らは「あと窒素とリンも欲しいなぁ」と欲張りはじめる。「ご飯だけたくさんもらったので、おかずだって欲しい」みたいなことです。微生物がおいしくないもの、つまり彼らにとって分解しにくいものを分解してもらうときには、やっぱり酵素が鍵になります。
ー
そうか。微生物の分解能力がアップすれば、土の生産性が上がるということなんですね! 具体的に、そこへ酵素がどう関わるんですか?
藤井さん
土って、だいたい黒いでしょう。なぜ黒いのか。少し専門的ですが、光を吸収する二重結合が多いからです。いわゆる芳香環が多い。コーヒーをイメージしてもらえたらいいですが、コーヒー豆の苦みとか渋みの成分というものに近いんです。それはコーヒー豆の場合だとクロロゲン酸とかコーヒー酸とかいったものですけど、木の場合はリグニン(木質成分)という毒なんですね。まずい毒を作ることによってカビや昆虫といった外敵から自分の体を守る、自分が食べられにくくするんです。それが土の中で増えていき、最終的に土は黒く見えています。
ー
毒による防御は、動植物の世界で広く見られる現象です。
藤井さん
そうです。ジャガイモの芽は料理をするときに取りますよね。あれもアルカロイド毒という二次代謝産物ですが、植物は体を守るために防御物質を作るように進化しています。
微生物にとって栄養分を抱え込んだ腐植も食べやすいものではありません。リグニンを分解することのできる酵素には、腐植を分解する働きもあります。腐植の分解を促進して、もともと土にある窒素の循環を促進することが窒素肥料を減らすために考えている作戦です。
ー
リグニンについては、長年研究されていたそうですね。
藤井さん
はい。森の中で雨の後、落ち葉の下から滲み出す水を集めていると、紅茶みたいな色の水が出てくるんですね。葉っぱが水に溶けて、水に溶けたものが微生物によって二酸化炭素にまで分解されます。そうしたら透明な水になるはずなのに、なんでこんなに茶色いんだろう? とずっと疑問に思って研究してきました。結局、それらは落ち葉の中に含まれるリグニンが溶けだしたものだとわかったんです。
藤井さん
数億年前、植物がラッカーゼなどの酵素でリグニンを作れるようになってから、樹木の体の40%ぐらいがリグニンと呼ばれる物質になりました。そのあと、地球上でしばらく石炭が溜まり続ける時代があります。森の木が倒れ、そのまま残って泥炭になって、石炭になった。その時期の細菌やカビなどは、リグニンを分解する酵素を持っていなかったんです
ー
いわゆる石炭紀(3億6,000万年〜3億年前)ですね。
藤井さん
そうです。リグニンを分解できるようになったのが、今から2億5千万年前に現れたキノコだと言われていて、ようやくリグニンが分解されて二酸化炭素に戻って、物質が循環するようになりました。そうして石炭紀が終わります。リグニンペルオキシダーゼという分解酵素は、木材腐朽菌と呼ばれるキノコのうち、さらに白色腐朽菌の一部しか持っていません。木材腐朽菌だけでなく落ち葉や土壌微生物にもこの酵素があることを遺伝子レベルで示すのに、私は3年かかりました。
リグニンペルオキシダーゼはクラフトパルプの漂白に効果があると考えられている酵素なんですよ。
藤井さん
木材腐朽菌は、シイタケやエリンギ、マイタケなど、スーパーでパック100円で売られているキノコたちです。一方、もともと木材腐朽菌の仲間だったはずのマツタケは、今はリグニンを分解できません。アカマツの根っこからグルコースをもらうことに慣れ切ったマツタケは、自分で落ち葉を分解することを放棄した。その代わりにアカマツのために栄養分を持ってきて、糖分と交換する「共生」を覚えました。
石炭紀を終わらせたのは、安いほうのキノコたちです。そのまま石炭紀が続いて土の中にずっと炭素が溜まり続けていたら、二酸化炭素が大気中から減りすぎて寒冷化して大変なことになっていて、今の地球の姿はないでしょう。
ー
私たちは、2億年も前にキノコによって救われていたんですか!
藤井さん
私も、100円で売られているキノコって偉いんだなって、ちょっとスーパーで見る目が変わりました(笑)。コーヒースプーン1杯の土の中には50億個もの微生物がいて、そのオーケストラとして生態系が支えられています。
私はこれまで個々の微生物を取り出して機能を調べることには懐疑的でした。それでも、ガンの薬を生産したり、ペニシリンを生産する微生物がいるように、特定の微生物が生態系の物質循環のカギを握っていることもあります。多様性、複雑系という言葉を当てはめる前に、一つ一つの生物や現象をよく観察する必要があることをキノコに教えられました。
藤井さん
なんと言っても面白いのは、進化の物語です。木が生えるところは雨が多くカリウムやカルシウムなんかが流れ出てしまうので、どうしても土は酸性になる。そんな場所にうまいこと適応したのがキノコです。酸性の条件でリグニンペルオキシダーゼという酵素は、高い酸化力を得ることができます。キノコは酸性条件でよく働くこの酵素を生み出し、木材なり落ち葉なりを分解することを覚えた。そんな適応の歴史が見えるんです。
シアノバクテリアが作ったニトロゲナーゼがいつできたかというと、炭素で “汚染” された古代の地球でした。こんなふうに、古いものと新しいものが適応の歴史をつくっているのは、地球史の面白さだと僕も思います。
藤井さん
そんな微生物たちの酵素をうまく操るためには、どこにピークがあって、どういう条件を再現してあげたらいいのか調べます。例えば、リグニンは酸性になればなるほど、分解酵素の活性が高まります。一方、落ち葉の毒じゃない部分、セルロースの分解は酸性になると活性が落ちるんです。土の中の栄養分を抱える腐植を分解するのには、そのあいだで丁度よい条件を見つけ出す必要があります。
ー
やはり土の中では、複雑な現象が起きているんですね。
藤井さん
酵素は「加水分解する酵素」と「酸化する酵素」という、だいたい2種類に分けられます。セルロースは加水分解でチョキチョキ切ればグルコースになっておいしくいただけるけど、リグニンはチョキチョキ切ることができなくて、酸化しなきゃいけない。
でも、リグニンが酸化してようやく溶けたフェノールが毒だから、またその毒を分解する特殊部隊の微生物が分解を担います。人は一人では生きていけないと言いますが、土の中では微生物は異なる微生物と役割分担をして共存していることになります。
よく木の細胞を「鉄筋コンクリート」にたとえて、「鉄筋」がセルロース、それを覆う「コンクリート」がリグニンといわれています。セルロースはブドウ糖が連なったものだから、分解には加水分解酵素が必要。リグニンは構造が複雑で加水分解酵素でも分解できず、代わりに酸化還元酵素の仲間である酸化酵素が必要になるんです。
ー
藤井さんは著書で、酵素のことを「微生物の神通力」と書かれていました。
藤井さん
酵素自体は、化学反応式に出てこないものです。何かから何かを作るときに「触媒」しているだけで、それ自体は変化しません。それに、人間だとできないことをしているという思いを込め「微生物の神通力」と書いたんです。
藤井さん
最近はよく「オーケストラにおける楽器」に近いと説明しています。オーケストラを楽器なしでやろうと思うと、すごく声の高い人とか、ホルンみたいな声の人とか、コントラバスみたいな声の人たちをそろえばなんとかなるかもしれないけど、すごい難しいと思うんですね。楽器を使うとそれよりも簡単に楽譜の求める音を出せる。それを組み合わせると、一つの楽器では演奏できない音楽も作り出せる。これは、多様な酵素が組み合わさった土の中の物質循環と似ています。
楽器である酵素を見ると、「このオーケストラは『この曲』を演奏するんだな」とわかります。「この土はクラシックかな」とか「この土は民謡かな」と僕たち酵素の種類から土がイメージできると思いますよ!
ー
まだ、酵素の存在がわかってからの歴史は200年あまり。これから、どんどん研究でわかることも多いと思います。
藤井さん
さっき、酵素くんがシアノバクテリアの話をしていましたが、現在のハーバー・ボッシュ法のように石炭や石油を大量に燃やす方法ではなく、もし、ニトロゲナーゼのように「窒素固定をする酵素」を人類が作れたら、やっぱりノーベル賞に値すると思います。単細胞のバクテリアに作れる酵素を、まだ人類は作り出せていないという点については、奮起したり、謙虚になる必要があるかと思います。
現在も学会では、ハーバー・ボッシュ法に代わってどうやって安く窒素を作るかという研究が報告されています。
そんななか、藤井先生は「窒素が十分に有効利用されていない」「余った窒素が環境に残ることで負荷を与えている」という指摘をされ、今ある窒素をどう回すかが重要だと語りました。
これまで以上は化学肥料に頼らないで、土の生産力を上げるためには酵素をどう使うのか。これからの研究成果に期待が高まります。
この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。