自然の営みを、ひと皿の上に再現したい。<後編>
トーマスさん(シェフ)

【クレジット】
文/神吉 弘邦 写真/MOTOKO
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先ほどはカツオ節ならぬ「野菜節」を見せてもらい、麹を使った料理もいただきました。トーマスさんは麹のどこが面白いと感じますか?

トーマスさん

麹に魅了される一番の理由は、とても応用が利くということですね。全部の種類は分からないくらい、とても多岐に渡ります。
まったく違う味の世界が麹で開けるということは、信じられないほど素晴らしいことです。麹による働きを「料理」と呼んでいいとさえ思っています。

壁や窓には、メニューを試行錯誤する様子がズラリ。

例えば、一般的な調味料で味を変える場合と、麹を使って味を変える場合があると思いますが、「ここは麹じゃなきゃダメだ」と思うような瞬間はありますか?

トーマスさん

言葉で味の違いを説明するのは難しいのですが、一番わかりやすい例を出すと、私たちはニホンコウジカビ(Aspergillus oryzae)という麹カビで「麦麹」をつくっています。その麦麹を、今度はオイルに漬け、麦麹の風味をオイルに移すという作業をします。

これって僕たちの得意技なんです! 麦の構造をこわす酵素を働かせて、中にある成分を染みだしやすくさせてるんです。それで、オイルに麦麹の香りがよくうつる。それぞれの食材が持っている、おいしい成分を分解してさらにおいしくしたり、ちょっと違う性質に変えたりできるんですよ。

トーマスさんは、そのオイルをどう料理で使うのですか?

トーマスさん

麦麹で香りを付けたこのオイルの素晴らしい点は、塩辛さ、甘さ、酸味を持つわけではないのに、味噌や醤油と同じように、味の複雑さ、奥深さというものを出せることです。シンプルな野菜の一皿に使うと、醤油や塩、味噌を加えることなく、野菜が持つ素材の味をさらに引き立て、うまみや味の複雑さというものを出せます。
私たちにとって、もはや麹は単なる調味料ではなく、食材のひとつになったとも言えるでしょうね。

図鑑から抜き出されテストキッチンに飾られていた、ニホンコウジカビの絵。かわいらしいです。

トーマスさん

麦麹をつくるための装置もご紹介しましょう。それが、ここにある7台の「発酵器」です。それぞれを適した温度と湿度に設定することができるものです。

見た目は冷蔵庫のようですが、目盛りが28℃を指すものもあれば、60℃というものもありますね。

トーマスさん

主に青森県でつくられている「黒ニンニク」をご存知ですか? それと同じ要領ですが、まず3日間じっくり発酵させてできた新鮮な麦麹を真空パックに入れて封をします。今度は発酵させるときと違って、高温にした発酵器の中に戻します。すると、麦麹が褐色に変わるんです。

これは「褐変(かっぺん)反応」ですね。酵素が働いて、食材が分解されてできた糖やアミノ酸が反応して、褐色の成分になる働き。味噌や醤油の色もこの反応で生まれます。「メイラード反応」とも呼ぶんです。

トーマスさん

その「黒くした麦麹」をペースト状にして、アイスクリームに混ぜ込んだデザートを提供していました。そのフレーバーのアイスができたところです。どうぞ召し上がってみてください。

牛乳や生クリームが原材料のシンプルなアイスクリーム。わざわざアイスクリーマーを使って、でき立てをつくってくれたトーマスさん。

絶妙な食感のソフトさや温度はともかく、以前にどこかで食べたことがある「味噌ソフトクリーム」のようでいてサッパリ、香ばしい香りが優しいコーヒー味のような。すごく美味しくて驚きました!

食材が最高だった状態を、再現するのがシェフ。

発酵の奥深さに初めて気づいたタイミングはいつでしたか?

トーマスさん

デンマークの「noma(ノーマ)」にいたときに、麹と味噌を味わった体験が最初なので、2012年のことです。

『ノーマの発酵ガイド』(角川書店)には、トーマスさんも登場。

トーマスさん

ひと口に「発酵」と言っても、いったい何が発酵しているのか意識していない人は多いと思います。例えば、コーヒーやチョコレートも発酵食品ですが、知らない人が多いですね。そう考えると、多くの人はすでに発酵というものの虜(とりこ)になっているんですよ。

ヨーロッパには、もともと麹や発酵を使った調理法はあったんですか?

トーマスさん

発酵という食文化では、チーズ、シャルキュトリー(生ハムやサラミといった肉類の加工食品)、サワー種のパン、ヨーグルトなどの乳製品、ビールやアクアヴィット(ジャガイモが原料の蒸留酒)といったお酒があります。
麹は聞いたことがありませんね。チーズにカビを生やすとか、お肉でちょっとカビを使ってというものはあるんですけれども。日本のように大豆とか、麦などの穀物を発酵させる例は知りません。

発酵器の中の食材たち。

トーマスさん

日本に来て、秋田の新政(あらまさ)酒造に行ったときに教えてもらったのは、同じ麹菌を使っても、麹を扱う環境のわずかな違いによって、多種多様な風味を出せるということでした。
例えば、温度だったり湿度だったり、加熱の仕方もそうです。最初は低温で開始して1度上げて仕上げるのか、1度高い温度から開始して下げていくのかでも違う。これは本当に素晴らしい仕事です。

ご自身のお仕事についても伺いたいです。ドキュメンタリー映画『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』(監督:モーリス・デッカーズ)の中で、トーマスさんは「自分たちの美学を新しい文化に投じてどんなものが生まれるか」を見たいと言っていました。この「美学」とは、どんなものですか?

トーマスさん

自分の美学というものは、母なる自然、自然界に起こっていることをできるだけ再現して、それを料理に生かすことにあります。

スパイスや乾物類も数多くコレクションされています。

トーマスさん

以前、ノルウェーの北極圏に行きました。ダイバーの友人が潜って海底から採ったマテ貝を、彼が船の上で開いてくれ、そのまま食べるんです。もちろん貝はまだ生きています。
やっぱり、そこで食べたときのおいしさは格別です。苦手な人もいるかもしれませんが、あの生の食感と味。その甘さ。海だからこその塩辛さ。それを雪に囲まれた環境で食べる味というのは、レストランでは再現不可能なんですね。ただ、その経験に近づけるための料理はできると思っています。

採れたての味に自然そのものを感じるのは、その通りですよね。

トーマスさん

その食材が最高の状態を味わうには、例外はあるものの、9割は現地に行かないといけないんですね。レストランに届けられたものだと、どうしても質が落ちてしまっています。最高の味を知るために、私たちはリサーチへ行くのです。
例えば、木になったトマトが3日間、太陽に十分当たったところを想像してください。雨が降っていなければ、水分が飛んでちょっと実が乾いているでしょう。夕方4時ぐらいにそれを採って食べてみる。
午後の日差しでトマトが自分の体温よりも少し暖かくなっていて、甘く、ジューシーで、酸味もあり、果肉感も感じられる。つるの匂いが手に残っていることでしょう。こういう風に食べたトマトというのが、おそらく「最高のトマト」だと思うんです。

夏休みに畑から採ってきたトマト。あのどこか「青臭い味」を思い出に持っている人も多いんじゃないかな。こうした採れたての味にも、もちろん、僕たち酵素が関係しているんです。

トーマスさん

シェフである自分の仕事は、届いた素材の味を、この「最高な状態」まで引き上げることだと思います。どこまで再現できるかは、私たちの腕にかかっています。
その状態に限りなく近づけたら、ゲストにお出しできるという風に決めます。それ以下だとお出しできませんから、ときにすごくフラストレーションになります。お客様に出したいと思えるのは、ほんのわずかな隙間であり、そこにはなかなか入れないからですね。

もぎたての野菜の新鮮さ、魚介類の獲れたての美味しさを再現しようと、トーマスさんは麹菌の働きなどを利用しているんだと感じました。

これから、どんなことに挑戦したいですか?

トーマスさん

私には、発酵や酵素を使うことで大きな夢があるんです。それは、食品廃棄物と深く関係する話です。「コンポスト」は多くの方はご存じだと思いますが、食品廃棄物を、酵素の力を使って栄養価のある土にする装置ですよね。
自分の夢というのは、いつの日か人類が発酵と酵素分解の仕組みを完璧に理解して、食品廃棄物を土にするだけでなく、「発酵ペースト」にすることです。それは食用のペーストであって、栄養価やビタミンが豊富に含まれ、飢餓で苦しんでいる国の方々に届けられたら素晴らしいと思っています。

とっても夢のある話……酵素の力で、ぜひお手伝いしたいです!

すごくいいですね。酵素や発酵以外の夢も、もしあったら教えてください。

トーマスさん

まず、自分がしていきたいと思うのは「インスピレーションを人々に与え続けること」。次に、「教育」と言ったら大袈裟かもしれないですが、自分の知っていることを伝えていきたいです。最後は、「食べ物と飲み物でいろんな人たちを幸せにしたい」ということですね。
この3つは、すごくいい組み合わせだと思います。お客様のためだけでなく、きっと一緒に働くスタッフにとっても良いものですからね。

ときにはユーモアを交えながら、料理への熱意を語っていただきました。

今日のお話を聞いて、トーマスさんはとても自然への敬意がある方と感じました。その思いは、子どもの頃からあったのですか。それとも、シェフになってから育ってきたのですか。

トーマスさん

私は子どものときから、自然の中で遊ぶことはとても好きでした。でも、小さい頃や10代の頃は、自然とつながっていたいと意識していたわけでなく、自分の生活の一部だったんです。
自然への敬意や感謝の気持ちというのは、シェフになって料理を始めてから、だんだんと身についた考えだと思います。

シェフって、素晴らしいお仕事ですね。僕ら酵素も調理役の一員として、料理のお役に立てるように腕を磨きたいです!

■天野エンザイムの感想
今回トーマスさんのお話を聞き、発酵、料理への情熱・探求心に大変感銘を受けました。
普段から酵素を扱う身からトーマスさんのお話をうかがっていると「きっとこんな酵素が働いているんだろうな」と想像できる話題ばかりで、非常に興味深かったです。
例えば、酵素によって3つぐらいの味の要素が、倍になったり10倍になったり100倍になったり、ものすごく複雑なものになる。そうした変化を楽しまれているという風に思いました。同じことを調味料でやろうとすると、数百の調味料が要るはずです。
そういう意味では、麹菌の持つ酵素の力を上手に使われているのには感服しました。
私たちもぜひトーマスさんが考案された新しい料理を味わってみたり、これからの夢のお手伝いをさせていただきたいです。

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。