高井 研さん(微生物学者)
【クレジット】
文/神吉 弘邦 写真提供/JAMSTEC
text_Hirokuni Kanki
photos courtesy of JAMSTEC
ただの化学反応が、生命に変わるためのキーは酵素だった

もし生命の起源を一緒に考えたいという読者がいたら、どんな基本を理解しておくと良いでしょうか。

高井先生

まず、生物学者には大きく2つの重要な考え方があるということです。ひとつは「生命の本質は情報である」という考えですね。これは、記憶された情報の伝達こそが大事であるとする立場です。DNAもしくはRNAで受け継がれる遺伝情報が大切なんだと。ですから、生命の起源を考えるときに核酸を重視します。

もう一方で、生きている私たちの現象、つまり「今、この瞬間を生きているということが大事だ」と考える研究者がいます。人間で言えば2万ぐらいのタンパク質が今もこの瞬間に働いていて、動的平衡を成し遂げている。これこそが生命においていちばん重要なんだと。こうした考え方に立つと、生命の起源に遺伝子は関係がありません。深海熱水の研究を通じて私がたどり着いた最新の結論は、こちらの考えでした。

えっ、生命の誕生に遺伝子は関係ない!?

高井先生

そうなんです。ただし、今の地球の生命にとって、遺伝情報が本質的に最も重要なのは間違いありません。しかし、40億年前に生まれた生命には、必ずしも「情報の継承」は必要がなかった。ただ生きていればよかったんだという結論に至ったわけです。

言ってみれば、惑星が生まれたり、生命が生まれたりするのは物理学の現象です。つまり、僕は「生命の誕生は物理現象」だと思っていて、これはかなり重要な概念なんです。それに対して「生まれた後に続くことは物語」なんですね。

逆に言うと、そんななかで遺伝子を持つようになったというのは、それはそれで大きな意味があるわけですよね?

高井先生

そういうことです。生命の誕生は化学反応であり、物理現象。でも、物理現象を飛び出て、物語にするには遺伝子がないとどうしようもありません。

この話って、教科書などに書いてある仮説とかなり違いますよね?

高井先生

これまでの生命の起源の考え方では、基本的に「遺伝情報がいかにつくられるか」が重視されてきました。DNAは後から出てきたので、まずはRNAですね。温泉だったらRNAがつくられそうだし、温泉の中で生命の原型が生まれたという説になったわけです。宇宙からもいろんな材料が地表に降ってくるので、材料集積場としても良いと言われました。

そういう意味では、深海熱水はあまり材料集積場にならないのですが、どうやら必要なものをそこでつくれるとわかりました。糖も、塩基も、おそらくアミノ酸も、核酸も、深海でつくれる。空からの不安定な供給に惑わされず、その場で自分に必要なものがつくれるんです。こうして最もベーシックな代謝系ができて、ただ代謝をして、分裂をして、再生するという、いわば生命の原型ができたと考えています。

「しんかい6500」に乗り込む高井さん©︎JAMSTEC

深海熱水が生命誕生の起源であるという学説は、そういう流れを考えているんですね。

高井先生

「深海熱水で代謝系だけの生命がすでに誕生していた」というのが、僕の最新のシナリオです。その後に長い時間をかけて、どこからともなく遺伝子がラッキーにもやってきたんですよ。その遺伝子と生命の原型がひっつくことで、最終的に私たちの共通祖先であるLUCA(ルカ)になったと考えています。

その深海での原始的な化学反応には、酵素は関係なかった?

高井先生

はい。最初は鉱物と電気化学で「酵素によらない代謝」をやっていたのを、今度はアミノ酸を繋げたタンパク質で置き換えるようになって、いちばん外側に油の膜ができた。その瞬間が、僕は最初の生命の誕生だと考えているんですね。今、その仮説の証明に向かっているところです。

これまで僕たちが酵素を使わず、鉱物と電気化学特性だけで再現できたのは、二酸化炭素から一酸化炭素、一酸化炭素からTCA回路(クエン酸回路)に至るまでです。TCAサイクルは、ほぼ非酵素学的に生み出すことができてしまいます。

なるほど〜。最初は必要なかった酵素が、必要になってきた過程も興味津々です。

深海熱水の噴出孔(チムニー)を探索する「しんかい6500」©︎JAMSTEC/NHK

高井先生

TCAサイクルからさらに、私たち人間の体の中ではアミノ酸をつくったり、脂質をつくったりという具合に、代謝系になっていきます。その経路の論理性は、学校の生物や化学の授業でも教えられていなかったと思いますが、どうやら、自然環境ではでき上がってしまうものらしい。

その始まりの場所が深海熱水だったという条件の一つが、起電力です。1V以上の自然電位がつくれるのは深海熱水しかないし、その電力を流せる導電体が深海にある硫化物チムニーです。そういう筋道をたどると、温泉ではなくて深海熱水でしか最初の代謝が生まれないんですよ。

深海熱水こそが生命の代謝の源であるという仮説は、1980年代の後半には言われていました。ただ、僕らは電気化学の考えも導入して、鉱物表面にさまざまな電位が生じることで複雑な酸化還元反応が司れる、しかも連鎖で起こるというところを考えたのが非常に新しい点なんです。

あれっ、これまでの流れでいうと、僕たち酵素のご先祖さまはいつ生まれたんですか?

高井先生

生命の原型が生まれるときに酵素くんは要らなかったけれど、酵素くんの祖先は深海熱水でボコボコと誕生して働いていたと思いますよ。

きっと酵素くんがいないと生命は誕生しなかったでしょうね。酵素くんがいると、活性の速度や効率は飛躍的に増加して、自分で自分をつくる世代時間も短縮されますから。遺伝子がやってきて結びつくことによって、初めて酵素くんが自分と同じものを残せるようになった。それがLUCAなんです。

それまで、化学反応であり、物理現象だった生命の原型が、遺伝子と僕ら酵素が出会うことで、いのちになったというか、受け継ぐ物語が生まれたんですね。なんだかめちゃくちゃ感慨深いです。

「宇宙酵素くん」が見つかるかもしれない?

高井先生は、一時期はJAXA(宇宙航空研究開発機構)にも籍を置くなどアストロバイオロジー(宇宙生物学)の研究でも知られています。

高井先生

僕は生命の起源の研究をやりたいのであって、宇宙の研究をしたいわけではないんですね。では、なぜ宇宙を探査する必要があるかというと、地球には1種類の生命しかいないからです。

種という意味では100億種がいますけれど、パターンで言えば1パターン。科学の定義上、1個しか例がないものを真実とは言えません。だから2つ目、3つ目を見つけて帰納と演繹により証明しないといけない。本気で生命の起源を解きたいのであれば、地球以外に生命を見つけるしかないんですね。

それは、地球と同じような条件を求める必要はあるんでしょうか? 

高井先生

宇宙規模で見たら、恒星から適正な距離にある惑星なんてわずかで、「氷世界」のほうが多いんですね。近年の宇宙の観測からは、氷世界の中にもちゃんと深海熱水が存在しうるということが見えてきました。だから、宇宙規模では深海熱水という条件は普遍的だと言えます。

地球において、深海熱水で生命が必然的に誕生したと考えるならば、宇宙でも深海熱水で必然的に生命は誕生する。すなわち、ここに生命の普遍性が生まれるということです。

氷世界でも生命があるということを見つけに行く。その候補となるのが、高井先生の本にあったエンケラドゥス(土星の第2衛星)なんですね。

高井先生

探査するのにいちばんコストパフォーマンスがいいのがエンケラドゥスということです。

土星の第2衛星「エンケラドゥス」は直径498 km。内部海の海底に熱水活動が観測され、生命の可能性が期待される。
©︎NASA/JPL/Space Science Institute

エンケラドゥスはいつごろ探査できそうなんでしょう?

高井先生

お金さえあれば、今すぐに始められますよ。でも1000億円はかかりますし、それでも成功するかはフィフティ・フィフティでしょうね。

宇宙旅行や海底旅行が実現する時代も楽しみだけれど、こうした夢のある研究にお金がもっと集まるといいなぁ。あっ、そう言えば、僕たち酵素がアミノ酸からできているというのも、地球上で確認されている1パターンに過ぎないのかもしれませんよね!?

高井先生

アミノ酸以外はあるかもしれないですね。宇宙酵素くんがいてもおかしくないです。

うわぁ、どんな親戚だろう。今でもタンパク質の集まりに金属分子を持ってくる「人工酵素」の研究があるくらいだから、もしかして、宇宙酵素くんもハイブリッド型なのかな。いずれにしても、僕たち酵素の普遍の姿というものが何かということがわかりそうで、期待しちゃいます。

高井さんの著書『生命の起源はどこまでわかったか 深海と宇宙から迫る』
「そのとき」がいつ来るかわからないから、一生懸命生きる

最後に、これからの目標をあらためてお聞かせください。

高井先生

自分でJAMSTECに超先鋭研究開発部門というものをつくり、今はその守護神として活動しています。今の仕事のほとんどは自分の大好きな研究をやることではなくて、いかに研究者からのボトムアップで独創的な研究をやれるかというところに主眼を置いているので、それを守るためにさまざまな仕事をしています。

あとは、唯一わずかだけれど、自分の研究も続けたいですね。あるいは大好きになった深海に向けて航海に行く。自分の思い描いた生命の起源のシナリオの全部を実証できたわけではないので、まだ続けたいんです。そのためには現場に足跡を残さないといけないし、そういう面白い研究をやれるシステムをつくって守らなければいけません。

もうもうと深海で熱水を噴出するチムニー©︎JAMSTEC

今日は先生が、海が「本当に好き」だとわかった瞬間の話がとっても印象的でした!

高井先生

よく言う話ですが、僕の大好きな漫画は『SLAM DUNK』なんです。主人公は、好きな女の子がマネージャーをやっているからバスケットボールを始めるんですね。まぁ、不純な動機ですよ(笑)。そのうち選手生命を失うような決断をしなければいけないとき、自分が本当にバスケットボールが好きだと気づくんです。

好きなことというのは、一発でわかるものではない。最初はいろんな雑念から始まって、一生懸命に取り組んだとき、好きになったり嫌いになったりするものです。結局、努力しないと好きか嫌いかなんてわからないと思うんですよ。

最初は、お金のため、見栄のため、なんでもいいじゃないですか。一生懸命やっていくうち、本当に好きなものを見つけることができます。たぶん、これは人との出会いも同じで、それまでの30年間で良い人と出会わなくても、30年経ったら出会うかもしれないし、そのときがいつ来るかなんてわからない。だから、とにかく一生懸命、前向きに生きないとダメだと僕は思いますよ。

自分の人生を捧げられるものというのは、そう簡単にわかるものじゃないので、若いときにそれがなくてもビビらないでほしいですね。一生懸命に生きていたら、きっと見つかりますから。

素敵なメッセージです。とにかく始めてみて、努力を続けるということですよね。最初の動機は不純でも何でもいいので。

高井先生

不純であればあるほど、たぶん後から純粋になりますよ(笑)。

海底に到達した「しんかい6500」©︎JAMSTEC
■天野エンザイムの感想
「生命とは何か」というお話のなか、高井先生が探検家のように世界を見ている視点が非常に面白かったです。酵素くんの立場から言うと、自分は何者だろうとか、どこから来たのかと、アイデンティティやルーツを考える参考になると思います。
高井先生のお話では、生命の根源は化学反応の連鎖であって、連鎖する化学反応を繰り返し、間違いなく遂行するために、自然が作り出したものが酵素くんということになります。酵素くんが仲間を組んで集まり、生命活動を担っているのが生物です。
生命を維持するには酵素くんが規律正しく働く必要があります。その規律を創り出す仕組みの一つが遺伝子だと高井先生は言っています。もしかしたら、酵素くんにとっては、遺伝子は「神」のような存在なのかもしれません。
宇宙探査はお金がかかる話かもしれませんが、そこから見えてくるものは私たちが地球で考えていることに奥行きをもたらしますから、ロマンがあります。
生命に限らず、自然界というのは化学反応の塊であり、ネットワークです。その自然の摂理を代表するものとして酵素くんがいると思えるので、酵素くんには誇りを持ってこれからも頑張ってほしいと考えています。

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。