100年前からヒット商品を連発する「酵素」を語ろう!<後編>
小倉ヒラクさん(発酵デザイナー)
清水 昌さん(微生物学者)
小池田 聡さん(天野エンザイム)

文/神吉 弘邦 写真/TOTEM
text_Hirokuni Kanki
photos by TOTEM
最先端の酵素産業で、意外にも伝統的な麹作りをしている

ヒラクさん

僕は、東京農業大学というところで「発酵」の勉強をしていましたが、手にしている「麹」などが専門です。

ヒラクさん

高峰譲吉さんは、麹を使う発酵のような「伝統産業」と、現在の「酵素産業」、ちょうどその間をつなぐ活動をされていて印象的でした。

小池田さん

高峰先生のことを調べていくと、お父様がお医者さんで、昔から化学というものに造詣が深かったようです。その後、博士はイギリスのグラスゴー大学に留学して化学を学びました。化学とは「この物質とこの物質をくっつけよう。そうしたら、こんな物質になる、あんな物質になる」という学問です。

生物の中でも、実はそういうことがいっぱい起きていますけれど、その当時は「生物の中で起きているもの」と「化学というもの」の2つを合わせて考える人がそんなにいなかったと思うんです。

ヒラクさん

生き物の世界と化学の世界をくっつける人が、あまりいなかった?

小池田さん

ええ。「生き物で起きていることは、化学的に言うとこうなんだ」という考え方があまりなかった。高峰先生は、西洋で発達した化学の目から、麹で起きている現象を見られたのだと私は理解しています。ジアスターゼの着想でも、酵素の反応でお酒も作れるし、同時に人々を助ける医薬品にもなるんじゃないかと考えたのでしょう。

ヒラクさん

先日、天野エンザイムさんの工場を見学させてもらったんです。そうしたら、現代でもいまだに麹作りからやられているのがすごく衝撃でした。

酵素産業というと、いかにも工業的なイメージがありましたが、生き物である麹カビの働きで医薬品などもできている。酵素を作るのにとんでもない量の麹を作っている様子を見て、とてもびっくりしました。

小池田さん

お酒を作るときには、お酒を作る分だけの麹を作ればいいですよね。私たちは、麹からお酒を作る時に使われる「酵素」を使おうとしている会社なので、大量の麹を作る工場が必要なんですね。

1つ1つバラバラにではなく、全体としてのはたらきを重視する考えかた

ヒラクさん

清水さんには「発酵学」についてお聞きしたいです。今、話してきたような「伝統的な文化」と「ヨーロッパ発の近代的な化学」、それに「生き物をどう扱うか」という、それぞれ違う3つのものが組み合わさっているのが発酵学だと思うんです。どのようにして、そんな世界観が形成されたのですか?

清水さん

ものごとを化学の目で見るというのは、おそらく西洋人のほうが得意で進んでいたのだと思います。でも、実際に変化をさせているのは生き物――微生物ですね。日本は自然が豊かだから、生き物を見たり育てたりするのは得意なんですよ。ユニークな発酵や酵素のプロダクトもたくさんあって、世界一だと思います。

ヒラクさん

日本で発酵学や酵素化学が盛んな理由は、自然が豊かだから。

清水さん

そう。例えば、日本は国土が狭いと言っていますけれども、北は北海道の冷帯から、南は沖縄の亜熱帯まで広がっています。生き物の多様性があるからこそ、お酒を作るのに適した菌もたくさんいる。日本人はフラスコの中で化合物を温めて煮たりするのは得意じゃなかったかもしれないけれど、生き物と付き合うことを上手にやってきたと思います。

ヒラクさん

僕はたまに海外の発酵や腸内細菌の学会に出席して、いろんな国の人たちと話をします。発酵食品に関して言うと、ヨーロッパに比べて日本は菌の種類がやたら多いという特徴がありますよね。

例えば「ぬか漬け」と「くさや」に関わっている菌、普段ならあまり人間の役に立たない菌として認識されそうなのに、おいしくて健康にいい食べ物を作っています。1個1個、いろんな菌の働きを分析して再現性を出すというより、職人的に「こういうやり方をするといいバランスになる」みたいな考え方で産業化していて、本当に面白い国です。

清水さん

まさに、それは自然が豊かで「生き物と我々の関係が非常に身近なところにあるから」ですね。

「発酵ツーリズム ほくりく/にっぽん」展の一画に設けられた、「見えないもので世界はできている」コーナー。酵素が社会の役に立っているシーンを、地球儀をグルグルと回して探す、WEBサイトで人気の「酵素の宇宙図」のコンテンツも大画面で楽しめました。

清水さん

私たちの研究では、いざ生き物をうまいこと使いこなそうと思っても、なかなかうまくいかないことがあります。設計図があって、その通りにやったらできることもあるけれど、できないこともある。そんなときには菌、あるいは酵素と仲良くなることが大事。日本人はそれが上手にできるんですよ。

ヒラクさん

およそ100年前、研究者であり、ベンチャー起業家であり、哲学者でもあるという、三島海雲(かいうん)さんというスゴい方がいました。三島さんがモンゴルに行ったとき見たのが、現地の人たちが馬のお乳を発酵させて飲んでいた「馬乳酒」です。それを日本で再現して作ったのが「カルピス」なんですね。

カルピスって、いくつかの菌がお互い一緒になって、はたらいてできるんです。その菌を別々にしちゃうと、もう動かなくなってしまう。だから、複数の菌がくっついたまま「ぬか漬け」とか「ヨーグルト」みたいに継ぎ足し続けて作ることを100年間ずっとやってきたそうです。

これがヨーロッパ的な発想だと、全部を切り離して1個1個を分析できる状態にして菌を保管してしまう。くっついたまま運用するというのは、すごい世界観だと思います。

自然界に頭を下げて、新しい酵素を探す

ヒラクさん

初めて天野エンザイムにお邪魔したとき印象的だったのが、「自分たちは自然から学ぶのだ」という言葉でした。自然の力を引き出し、そこから酵素という特別なものを作って、社会を新しい技術でリードしていくんだと。

そんな発想で酵素の製品を作られている天野エンザイムは、具体的に普段は何をされているんでしょうか?

小池田さん

私たちは企業ですから、まずは社会から求められる課題を解決するところから始まります。いろんな分野にわたる私たちのお客様は、主に化学反応に関わる課題をさまざまに持っています。それを、酵素で解決できないか。

実際に解決できる酵素がある場合も、課題を解決しようと思うと「ちょっと性能が足りない」ことがある。性能を満たすために新しい酵素を探す、あるいは改良をしています。

当てはまる酵素がない場合は、新たな酵素を見つけるため自然界に頭を下げ、いろんな微生物からそういう反応の酵素がないかを探して、商品化してお客様に提供しているんです。

ヒラクさん

依頼を受けるのは、食品メーカーや医療メーカーからですか?

小池田さん

そうですね。さらに化学品や化粧品のメーカーなどもあり、本当にいろいろな分野です。

ヒラクさん

食品に関する酵素で有名なのは、例えばパンをふっくらさせる酵素などですよね。

小池田さん

パンって、数日放っておくと固くなってしまいます。でも、今の食パンは3〜4日置いていても固くなりません。それは柔らかさを保持できる酵素が使われているからです。こうした効果は、何種類かの酵素によって可能になっています。そんな組み合わせとか、目的に応じた使い分けを研究しています。

ヒット商品が偶然から生まれるのは、発酵学の面白さ

ヒラクさん

清水さんの研究室にも、いろんなお題が持ち込まれるでしょうね。

清水さん

あるお酒メーカーが販売している「セサミン」という商品は有名ですよね。セサミンとは、ゴマの種の中に0.5%ぐらい含まれるごく微量な化合物です。あれは、私たち微生物学の研究室から生まれたんですよ。

ヒラクさん

どういうことですか?

清水さん

植物でも動物でも、生物は油を作る。その油にはさまざまな特徴があります。DHAとかEPAとか、聞いたことがあるでしょう。微生物でそんな油を作らせるとどうなるか。それが話の始まりでした。

すると、世界中の土壌に住んでいる1種類のカビが、DHAやEPAと同じカテゴリーの「アラキドン酸」を含む油を作ることを発見しました。

ヒラクさん

カビがその油を作るんですか?

清水さん

はい。アメリカの大きなミルク会社にそのサンプルを送っていたら採用されて、今では世界中の赤ちゃんの粉ミルクに私たちの見つけたカビの油が微量ながら入っています。

産業的に使われるようになったわけですから、今度はその油をできるだけたくさん作りたい。「糖質の代わりに油をエサにしたら、もっと効率良くできるのでは?」と考えたのです。ところが、ゴマ油を培地に入れて食べさせると、目的の油ができなくなりました。これは、カビが行う反応経路のどこかをストップしてしまう何かがあるんじゃないか。

そう思って調べていくと、「セサミン」という化合物にそういう作用があるということがわかりました。私たちはアラキドン酸の油をたくさん作ろうとしていたのに、逆に、それを阻害するものとしてセサミンを見つけてしまったわけです。

ヒラクさん

セサミンは偶然、見つかったんですね。

清水さん

肝臓の中のある反応の作用を解いてしまう反応や、コレステロールの濃度を下げる効果などがわかりました。そこで「セサミンを飲むと肝臓が元気になるのなら、これも売ろうか」という話になったんです。

ヒラクさん

すごく発酵の研究っぽいです。今は「役に立つ研究をしろ」というプレッシャーが大学の研究室にあるんですが、それはナンセンスだと思うんですよ。まるで予期していなかったアウトプットが出てきてしまうのが、化学の研究のいちばんの面白さですから。

こういう流れこそ、僕は「自然から学ぶ」ことなんだと思います。自分たちの発想ではたどり着けないものが自然界の中にあり、それを教えてもらう姿勢です。それを伝統だけではなく、新しいテクノロジーを使ってやろうというのが、日本の酵素産業が世界ですごくユニークな位置を占める理由だと思います。

「発酵ツーリズム ほくりく/にっぽん」展では、味噌や麹、発酵茶やお酒など、数多くの発酵食品を販売。来場者の人気を集めていました。
トライ&エラーを繰り返してきた自然に学ぼう

ヒラクさん

21世紀は、石油1つとってみても限界があるから、産業を全然違うかたちに変えていかなくてはいけません。これからの酵素産業にはどういう可能性がありますか?

小池田さん

新しい原料から有用な物質を作るときには、新しい触媒、つまり化学反応を司るものが要ります。石炭や石油ではなく、バイオマス――自然が作っているものをそのまま生かしていこうとなると、自然の物質に対していろんな作用をする触媒が重要になります。

それを数多く持っているのは、やはり微生物なんですね。微生物から見つかる新しい酵素に、ますます活躍の場が求められる時代になると思います。

ヒラクさん

やっぱり日本のいろんな微生物って、そういう意味でも「宝物」なんだ。

小池田さん

生物が地球上に生まれてから、数十億年経っています。その間に自然界ではずっとトライ&エラーが繰り返され、それを微生物という形で残しているわけですね。人間がいくら頑張って「化学の発展うんぬん」と言ってもここ数百年の話で、全然ケタが違います。自然に学ぶ、自然の知恵を借りる、そういう姿勢が大事になると考えています。

握り寿司は「せっかちさ」が生んだ発明

ヒラクさん

残りのお時間で、会場のみなさんから質問をいただきます。

(会場の皆さん)
いちばん「好きな酵素」って、それぞれ何ですか?

ヒラクさん

いっぱいありすぎる!(笑)

小池田さん

分解する酵素も大事だけど、それを組み合わせて違うものにする酵素にはとても可能性があります。好き嫌いで言うと、そういう酵素です(笑)。生き物っていろんな形を作っていますよね。そういった形を作るところに関わる酵素が面白いなと思います。

ヒラクさん

例えば、どんな酵素がありますか?

小池田さん

食べ物で言うと、材料が違えば、食感だとか形だとか、感触というものも変わってきます。お肉が違うと料理も変わるでしょう。「誰でも食べられるようにものすごく柔らかいけど、噛み応えがあるステーキ」だとか。そういうことができる酵素などあったら面白いですよね。

ヒラクさん

なるほど。食感を変えちゃう酵素などは、これから発展していく可能性があるということですね。清水さんはどうですか?

清水さん

微生物の酵素を長年扱っていると、あまり好き嫌いというのはないんですけれども、産業に使っていただけるようになった酵素は、やっぱり嬉しいです。それから自分が苦労して見つけたものには愛着があります。苦労して大事に育てたものが愛おしいのは、子どもと一緒です(笑)。

ヒラクさん

ちなみに、どういった酵素がありますか?

清水さん

化粧品などで使われる「パントテン酸」というビタミンを作るとき、昔は化学合成で作られていたんですが、それを酵素反応で作れるようにしたんです。世界で年間ほぼ1万トンほどのパントテン酸が作られていると思いますけれど、今もその半分ぐらいは私たちが見つけた「ラクトナーゼ」という酵素が使われています。

それもカビが作る酵素です。結構、苦労して見つけたんですよ。さらにタンクで反応をさせて目指すものができるようにするため、酵素を加工することにとても苦労しましたね。

ワークショップで行われた「踊ってみよう!酵素ダンス」のセッション。「見えないもので世界はできているの歌」に合わせて考えられた振り付けは、酵素のはたらきを身体で表現するユニークなものでした。

(会場の声)
酵素を使って作られている食べ物で、いちばん好きなものは何ですか?

ヒラクさん

これもいい質問ですね。

小池田さん

私はやっぱり「お酒」がいちばん好きですね(笑)。アルコールだけじゃなくて、香りだとか、あるいはうまみとかというものも、かなりの部分は酵素反応が組み合わさってできています。それも原料によって違うし、作る微生物で違う。そういうところが非常に面白いです。

ヒラクさん

お酒を司る二大微生物って「麹」と「酵母」ですけど、この2つ、どちらもスゴくたくさんの種類の酵素を持っているんです。いろんな酵素のはたらかせ方ができるから、そこがお酒のマジック。お酒を作る人は「この酵母とこの麹の中のこの酵素を、このタイミングではたらかせて、こういう味にしたい」みたいな組み合わせを考えているので、非常に錬金術的ですよ。

清水さん

私はね、「寿司」。会場でも「なれずし」が紹介されていましたね。なれずしができるまでには、漬けてから長いこと時間がかかる。バイオはだいたい長いんです。けれども寿司が好きな人にとっては、とにかく今すぐ食べたい(笑)。

お寿司が酸っぱいのは、大部分が乳酸発酵です。乳酸菌が最終的に作用して酸っぱくなるんだけれど、「ご飯に酢をかけて、上に魚を乗せればいい」と考えた人がいるわけです。それが「握り」。きっとお酢屋さんが発明したんだと思いますよ(笑)。江戸前の握りというのは、酢をいかにたくさん売るかというのが、たぶん最初の発想だと思います。

ヒラクさん

そのお話、僕も大手お酢メーカーから聞きました。すでに「酢酸菌」の酵素によって作ってくれた酸、つまりお酢を最初に入れちゃえば「あっという間にお寿司が食べられるじゃん」というお話ですね。

発酵させる本来のお寿司は、もともと中国とかタイとかミャンマーで生まれました。せっかちな日本人は、そうやって時間をかけて酸っぱくしていた食べ物を「微生物の酵素作用を使っていきなり酸っぱくしちゃえ」と。それが今、世界中を席巻しているんだから面白いです。

清水さん

だから、握り寿司は究極のインスタント食品。「カップヌードル」みたいなものですよ(笑)。日本発のすごい発明だと思うんです。

天野エンザイムのコーナーは、酵素のことを楽しく学べる展示内容。これまで本サイトに掲載された「酵素トーク」のバックナンバー記事が、QRコードのアクセスからスマホで読める仕掛けもありました。

ヒラクさん

あらためて、今日は酵素の面白い話をたくさん聞けました。普段はなかなかこういう内容を聞けないので、すごく貴重な機会だったと思います。僕はとても勉強になりました。

酵素は、発酵がテーマのこの展覧会でも欠かせないキーワードです。21世紀の核になる産業だと思っているし、これからも皆さんと一緒に酵素を伝えていく活動をしていきたいです。小池田さんと清水さん、どうもありがとうございました!

清水さん

ありがとうございました。

小池田さん

ありがとうございました!

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。