黒酢の壺畑で、熟成され続ける想いとは<前編>
坂元昭宏さん(坂元醸造社長)
坂元宏昭さん(坂元醸造 醸造技師長)
天野源之さん(天野エンザイム 代表取締役社長)
天野エンザイムには社員と一緒に定期的に訪れる場所があります。それは、日本全国に“黒酢”や“血液サラサラ”という言葉を広めた鹿児島県福山町の坂元醸造さん。創業200年を経て、いまだ解明しきれない黒酢の未知のパワーに、様々な分野から研究のオファーが舞い込み続けています。唯一無二の黒酢を発酵させる伝統を受け継ぎながら、最先端にもチャレンジする、その想いを伺いました。
黒酢は野菜と一緒。
太陽エネルギーと微生物の力で育ちます。

全国でも有名になった黒酢が、この場所から始まった歴史を教えてもらっていいですか?

坂元技師長

こちらで黒酢作りが始まって200年の歴史がありますが、やはりここ鹿児島県福山町という土地でお酢作りが盛んになった理由がありまして。まず、発酵に適した温暖な気候。そして薩摩藩のお殿様にも献上した美味しく豊富な地下水があります。そして近くにある集積港は交通の要所で、黒酢に欠かせないお米が宮崎から、薩摩焼の壺が鹿児島市内の方から届いたのです。

どうしておいしい地下水は、ここら辺の地域で豊富なのですか。

坂元社長

この湾自体がですね、錦江湾、正式には鹿児島湾って言うのですけれども。真ん中に桜島があってその周りを取り巻く、大きいカルデラなのです。シラス層でできていまして、そこを通った水なので、ろ過されて綺麗な地下水が流れています。すぐ裏に昔、薩摩藩の廻城(めぐりじょう)っていう出城があってですね、そこの殿様に献上してたと言われています。

廻りって循環するという意味ですか!?

坂元社長

そういう意味にとれれば、もっといいですけど(笑)昔から“廻”って土地の名前なんです。サステナブルとしては、ぴったりですね。

自然も物流も、いろんな条件がそろっている稀有な場所なんですね…

坂元技師長

そうですね、福山町の環境がやはり、黒酢を作るのにいちばん適していたのです。

黒酢って名づけたのはどうしてですか?

坂元技師長

熟成することで、琥珀色に濃くなっていくということで、先代が1975年に『黒酢』と命名したのが始まりです。その頃は商標登録という意識がなかったものですから。他のメーカーさんも黒酢という名前を使い始め、全国に広まっていった経緯がございます。

どうしてお酢の色が濃くなっていくんでしょう?

坂元技師長

私どもの黒酢は、壺に入れたあと、太陽エネルギーで発酵熟成していきますので、それによって色や味、コクやまろやかさが増していくというのが特徴です。

醸造って、暗い蔵の中でむしろ太陽を避けているイメージがありました。

坂元技師長

黒酢の壺が並んでいるところを『壺畑』と呼んでいるんですけど、畑で野菜を育てるのと同じ考え方で、太陽エネルギーで黒酢を作っています。太陽も水も必要で、農作物と一緒なんですね。さらに壺の中に、酢酸菌という微生物が住み着いていて。

野菜が育つ土も、微生物の宝庫ですもんね!黒酢をつくる壺って、条件があるんですか?

坂元技師長

はい、大きさがまず大切で。今使っている壺は54ℓの壺ですけれども、大きすぎても、小さすぎてもいけない。200年前から使われてきた薩摩焼の壺をモデルに、今は信楽焼で作ってもらっています。全国で色々と相談したんですけど、やっぱり信楽焼が、同じ品質のものが安定的に大量に焼けるというのがありまして。

効率か、効果か。
江戸時代の作り方に戻っていく理由。

様々な新技術も生まれてくる中で、伝統の黒酢の製法をぶらさないように続けている理由を聞かせてもらえますか。

坂元社長

伝統の方法はもちろん時間もコストもいろいろかかるので、効率は悪いんですが。でも、いろんな大学と共同研究して、黒酢の体への良い成分は、この特殊な製法から来ていることがわかりました。他の作り方では生まれないんです。だとしたら、作り方は変えられないなと。効率より、効果をとりました。

ということは、ちょっと作り方を変えて、みたいな時期もあった?

坂元社長

もちろんいろいろ試みました。ただ、やっぱり江戸時代からの作り方っていうのが、からだに効果があると。いちばん理にかなった作り方をしているっていうのが、やればやるほどわかってきて。最後にはそこに戻ります。

昔の人、すごいですね!

坂元社長

おそらく江戸時代の人ももちろん、いろんなことをすごく試行錯誤しながら辿り着いて、それが、やり方として残ったと思うんですけどね。今文献に残ってないだけで。それに加えて、化石燃料もない時代の作り方が今は、SDGsの考え方にも合っていて。そこは意識してやってたわけじゃないんですけど、伝統の製法を継続して良かったなというのが、今更ながら思っているところです。

最近、それこそ発酵が注目されている流れとして、環境や経済を持続可能なものにしていこう、という考えが世界中に広まっていますね。

坂元社長

うちにとって非常にありがたい話だとは思います。江戸時代からやっているから当たり前だと思っていたのですけれど、今は、物を作っている自分たちの持続だけじゃなくて、当然その原料から、あらゆるお取引先、全てのものが同じように継続していかないといけないと思いますし。もっともっと視野を広げて、お客様に還元できることに取り組まないといけないなと。いい指針になっております。

伝統の製法を守り続ける上で、壁や困難、諦めそうになった時はありましたか?

坂元社長

祖父の時代がそうでした。私が生まれる前で太平洋戦争の頃ですが、原料のお米がなくなって。元々24軒、酢を作るところがあったそうなんですけど、うち以外はほぼ辞めてしまってですね。原料が手に入らないから、作れないですよね。そんな中、私の祖父は米ではなくサツマイモを代わりの原料で作り続けて、技術だけは残してくれまして。その時代はかなり苦労したと思うのですけれども。
実際、祖父の代で辞める予定だったんです。だから私の父は後を継がずに薬局をやっていました。でもわずかに1000本ぐらいの壺で 、祖父が作った黒酢を店頭で売っていて。あるとき、非常に体に良い効果があると評判になりまして。そこからまた、壺の数を増やし始めました。

その頃のことは、記憶にはありますか?

坂元社長

はい。その頃はわたしは中学生ぐらいだったのですけれど。わたしの祖父はまったく贅沢も何もしない人で、本当に質素だったのですけれど、そうやってお客様に喜んでもらえていることを、すごく喜んでいましたね。

ちなみにその薬局に置かれた時は、飲むお酢として置かれていたんですか?

坂元社長

そうでもなくてですね。体になんだかいい効果があるのはわかっていたので置いていて。じゃあどのくらいの量を、どうやって取ったらいいんだとドクターと話している中で、杯(さかずき) 1杯のお酢をなにかで薄めて飲むのがいいんじゃないですか、とだんだんと決まっていったそうです。

じゃあそれまでは、今みたいにお酢をそのまま飲むっていう風習もなかった?

坂元社長

まったくないです。今はもう日本では飲料酢が当たり前みたいになっていますけど。当時はお酢を飲むなんて考えられなかったですね。ただ、毎日ちょっとずつ、決まった量をとってもらうのが最もいいだろうっていうことでおすすめしたのがきっかけですね。それが大体50年ぐらい前の話です。

伝統を守りたいというより、
お客様に健康になってもらいたい。

黒酢職人になるにはどんな条件が必要ですか?

坂元技師長

醸造技師は、発酵管理がいちばん重要なところなので、そこの技量を上げていくためにみんな勉強して頑張っております。弊社には醸造技師制度というのがあって、わたしは30年以上こちらで働いていますが、最初5年以上経験を積んで、やっと試験資格を得られました。そこからさらに試験を受けて、初めて醸造技師に任命されます。

人を育てるのも、時間をかけているということですね。

坂元技師長

そうですね。醸造は五感を駆使していかないといけないものですから。知識だけではなく、しっかりと経験を積んで、長い時間をかける必要があるのが難しいところです。でも時間をかければ、確かに成長できますし、五感を使うので奥が深いのも、やりがいがあるところです。

これからの黒酢の作り手たちに、そうやって大事にすべき伝統とかこだわりについて、どうやって教えていくのでしょうか?

坂元社長

いや、伝統については、教育らしい教育もしてないので(笑)やっぱり大切なのは、お客様に健康になってもらいたいという想い。それともう1つ、忘れがちなのですが、なんと言ってもおいしさです。おいしければ継続できて、健康になってもらえるっていうのもありますので。そこを目指していくのが、教育なのかなっていうのは思っているところです。

伝統を守ってくださいというより、お客様を想う姿勢というか…

坂元社長

そうですね、もうそれがないとなかなか。

そしてお客様が健康になることを目的にすると、てまひまはかかるけど、結局、伝統製法に戻るという。

坂元社長

そうなんですよ、それで戻るんです。

後輩に受け継がれているという、手応えはありますか?

坂元技師長

製法はもちろんですけれども、伝統を守るという想いを、やっぱりいちばん受け継いでいかなきゃいけないのかなって、私は思っていまして。ただ、やっぱりその想いを最終的に支えるのは、先ほど社長が言った“お客様への想い”ですよね。健康にいい、おいしい黒酢を、お客様に提供し続けていきたい、という。

そう思うと、長い修行も、真夏の日々も耐えられるんですね…若い方から言われてうれしかった言葉みたいなのはありますか?

坂元技師長

私が五感で判断したことが、研究室の分析と照らし合わせて正確だったというのがわかったりすると、若い人からは驚かれて。「自分はわからなかったけれど、経験することでそこまでレベルをあげられるんですね!」と。そういうことを言われると、やっぱりうれしかったです。

天野エンザイムでも、酵素で食品をやわらかく加工して、機械でその値を測定するのですが、最終的には人が食べて感じる食感の評価の方が正確で。 細かい違いまでわかるんですよ。やっぱりそういう意味で、人がいちばん精密な機械なんじゃないかな、なんて話しています。

坂元技師長

若い頃は全然わからない状態ですよね。途中、心が折れそうな時もありましたけれど。でもやっぱり経験を積んで、数をこなすにつれて、少しずつわかっていくっていうところが必ずあって。先輩方にも真剣に教えていただいて。どんどん自分も成長していけるって、すごくモチベーションが上がりますね。

見えないものが見えるようになるんですね。

坂元技師長

いや、と言っても、まだまだ私も全然なので。わからないこともいっぱいで。同じ日に仕込んでも、1本1本、発酵の状態は違うのです。ですから、見たことない発酵状態っていうのは、30年経っても未だに出てきます。まだまだ勉強していかないといけないと思います。

大切にしているのは、
微生物が暮らしやすい環境。

黒酢作りでは、酵素はどのように活躍していますか?

坂元技師長

そうですね、発酵過程で酵素が働くのですけれども。麹の酵素が、でんぷんを分解して糖化すること。そしてタンパク質を分解してアミノ酸を生成する、ということで、とても重要な役割を果たしています。

そういう目に見えないものの働きについて、気づき始めたのっていつ頃なんでしょうか?

坂元社長

おそらく江戸時代からそれはわかってはいたと思います。ただ、それが酵素の働きってことはわかっていなかった。科学的な研究を始めたのは、おそらく50年以上前ですね。

坂元技師長

それでも昔から、酵素を生み出す微生物が暮らしやすいように日々、気を配っていて。たとえば、壺の中にいる酢酸菌をとても大切にしていて。壺を洗浄したりする時は、地下水を使って洗浄します。熱湯や薬剤で洗浄したり、薬殺菌したりっていうことを一切いたしません。

洗うのも地下水って、なんか贅沢ですね。米麹も自社で作られていると聞いたのですが、そのこだわりはどこから?

坂元技師長

私どもが麹を作る施設や機械に、酵母や乳酸菌が住みついておりまして。蔵つき酵母とか、蔵つき乳酸菌とか呼んでいるんですけど。麹を作った時にそれらが増殖して、仕込みを行った際に麹と一緒に壺の中に入ってくることで、発酵に必要な微生物が働くということなので。その環境を維持するために。

そのために、他から買う訳ではなくて、わざわざ?

坂元社長

そうですね。江戸時代の頃から種麹をずっと買い続け、使い続けてきたものなのですけど。それを自分たちで増やしています。

先程、さつま芋で作っていた時期があるとのことでしたが、お米と違って、どんなお酢になりますか?

坂元社長

実はその後も試したことはあるのですけれども。ちょっとやっぱり、へたりが早くて、腐ってしまう。もう今は作っていません。やっぱりお米が強くて、おいしいです。

は〜。微生物や酵素が絶妙に活躍できるバランスなんですね、黒酢づくりは。

坂元社長

そうですね。芋は芋で極めれば、もっといいのができたのかもしれないですけれど。やっぱり、うちは元々が米なもんですから。

今日は天野エンザイムから天野社長もいらっしゃってて。社長、土を持って帰ろうとされたりは?ここの土にはいい微生物がいるかも!?

天野社長

確かに、ここの土には違ったタイプがいるかもしれないね(笑)

天野エンザイムでは、花由来の酢酸菌から酵素を取ってきたことはありますが、お酢の酢酸菌からっていうのはないかも。なんだったら、壺を1個持って帰りたいですね(笑)

坂元社長

そうやって、あちこちで採取されているわけですね。

天野社長

はい、いろんなところから採取した、微生物のライブラリーがあるんです。日本各地だけではなく海外や、海底や砂漠からも。たとえば横須賀にある海洋研究開発機構の中にも、8,000メートル底の微生物を集めている人もいて。ただ今は生物多様性条約で持って帰れないので、世界中の微生物を収集・保存できるような研究プログラムに加入しています。

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。