活発な微生物として、世界中を豊かにしよう<後編>
河野和義さん(八木澤商店会長)
河野通洋さん(八木澤商店社長)
天野源之さん(天野エンザイム 代表取締役社長)

独立国家から、耕し合うつながりへ。
2020年に完成した発酵テーマパーク「CAMOCY(カモシー)」。発酵をかかげて、食堂、パン屋、クラフトビール、チョコレートなどのテナントが集まり、その先導役を河野社長が務めた。施設は地元の木材をふんだんに使って建てられ、テーブルや椅子などの什器も地元の製材所、鉄工所で製造した。

チョコレートも発酵文化なんですねえ。

河野社長

そうです、そうです。チョコレートはカカオの原産国の段階で発酵が終わってるんですけど。あれはカカオの種の部分なんですね。

発酵の方法なんですけど、カカオの実の部分とタネを、バナナの葉で包むんですね。で、実の部分に糖分があるので、果肉や周囲の環境にいる天然の酵母によって、最初はそこがアルコール発酵するんです。そのあとに、酢酸菌がそのアルコールをもとに、酢酸発酵を進ませて。この発酵で生まれる熱と微生物の代謝産物が種の内部に浸透して、種の中で酵素反応が起きることで、カカオの種がチョコレート特有の色と風味に変わっていくんです。

す、すごい知恵ですね。

河野社長

ええ、だからよくそんなこと考えたなと。よく気づいたなという。そこまでいったら、そのアルコールを飲みそうなものじゃないですか。でも飲まないで、ちゃんと酢酸発酵まで持っていって、その酸っぱくなった中からカカオの実を取り出し、それを粉にしてチョコレートにするってすごい食品技術ですよね。あれをおいしいものだって最初に思った人すごいなぁと思って。

あれもやっぱり種で、保存食として日持ちをよくしていたんですかね。

河野社長

そうですね、保存するためにっていうのはあったと思うんですけど。

河野会長

あとね、CAMOCYの一角には食べ物じゃないものもあって。しみんエネルギー(陸前高田しみんエネルギー)っていう。

河野社長

エネルギーを循環していくということが、その地域を持続可能にしていく第一の要素だと考えていて。しみんエネルギーを、仲間の会社が作りまして。いま市役所や公立の小学校や民間の工場もそこから電力を購入しています。屋根の上に太陽光をひいて、売電するんじゃなくて100%その場で放電させずに使い切るんです。

河野会長

この街には、小さいけれどもそれぞれの挑戦がある。もう俺が生きているうちには見るのは無理だろうけれども、松原も強くなっていくし。その一本一本、理想のかたちになってるときにはこいつ(河野社長)だって生きてねぇだろうし。

そうですね、100年後は、ここにいる誰も生きていないかもしれないですね、残念ながら…見たいけど。

河野会長

だから、俺が見ていて、理念って大事なのは、それがだんだん浸透してきて、CAMOCYができたときに、若い世代が赤ん坊を連れてくるのよ。わたしたち親はいい加減なものを食べてきたけど、この子には食べさせたくないって。その赤ん坊をちょっとハイハイさせたり、オムツ変えたりする場所も作ってある。

見届けられなくても、次世代が引き継いでくれる…

河野社長

そうですね、震災後に勉強会をやって、みんな再生するぞ、一社も潰すなって言ったんだけど、やっぱり7割くらいしか復旧できなくて。だから新しい雇用をつくるぞっていって、地元の仲間の経営者と一緒に、「なつかしい未来創造株式会社」っていうインキュベーションカンパニーをつくったんです。創業を支援する会社をつくって、その年に40社のお手伝いをさせていただいて。それは株式会社なんですけど、実は最初から10年経ったら解散させるってことを謳ってたんですよ。

そうなんですね。その心は。

河野社長

10年で500人以上の雇用を新たに生むために、のんびりやってたんじゃ仕方ないから、期限を決めて、最速で行こうっていう。そうやって最後に生み出されたものが株式会社醸(カモシー)という会社なんですけど。陸前高田は10年で新しい事業が140社生まれたんですよね。

この地域の方ってチャレンジャー、というか、そういうスピリットを持っている人が多いんですか。

河野社長

そういうわけでもなく、意外と、ものすごく保守的で。震災前は、陸前高田でよそ者が成功するのってすごく難しい街だねってよく言われたんです。地域内の結束力が高くて、お互いの決算書を見せ合いながら、どう経営改善するんだっていうのを夜な夜なやっているようなところがあって。

親密ですね…!

河野社長

お互い赤字だろうが、「おまえこれ粉飾してんじゃないか」みたいな(笑)そういう関係性が出来上がっていて、それをやりながら、「いつか俺たちはこの国から独立するんだ」なんて言いながら、で、酒を飲んでる。

河野会長

俺よりほら吹きになったから、俺は全部譲った方がいいと思った。

河野社長

「独立国家をつくれ!」みたいなね(笑)まぁそういうことを言っている中で、津波がおきて…会社ごと全滅、社員さんも全員亡くなってしまった会社もありましたし、再建できなかった会社もあって。でも、それでも、その中で立ち上がるメンバーがいて、新しい会社を作って。その時に「“よそ者”の力を借りよう」となりました。

というのも震災後に、ボランティアの人たちが世界中から来た街なんですよね。いままでは「よそ者立ち入るべからず」みたいなところがあったんですけれども、「いや、外の人たちのおかげで助かったよね」と初めてなったんですよ。「じゃ、もう外の人たちと力を合わせようよ」となって。震災で、街の雰囲気は180度変わったと思います。

河野会長

信じられないと思うけど、ボランタリーで来た学生が、ここに居ついて、市会議員になるの。それでその市会議員になった当時、ダントツのトップ当選だったの。

三井俊介さん
認定NPO法人SET 理事長 / 陸前高田市元市議会議員(在籍期間2015年9月〜2019年9月まで)
https://www.nposet.org/about

河野社長

震災後にNPO法人SETができて、そこがインキュベーション機能を持っていて。東京の大学生を年間200人くらい連れてきて、地域ソリューションを考えながら合宿をやるんですよね。それを地域のおじいちゃんおばあちゃんに、こういうことを考えて実現します、みたいなプレゼンテーションをする。そういう教育制度みたいなのを作って、その地域に今、30人くらい根付いて。

まちづくりとしても最先端ですね。

一番大事なのは、
自分の生き方に
誇りをもてることだから。

河野社長

そうです、街づくりも、最先端で。去年一昨年も二百人以上、移住してきたんですよ。北欧から来た人もいて。おじいちゃんおばあちゃんが亡くなっていく率が大きいので人口自体は減少しているんですけど、でもどこかの段階で、若い人たちが生まれてくる環境をつくりあげると、変わってくるんですよね。

小さくても、小さいことは全然悪いことじゃなくて。むしろ自立するための仕組みは小さければ小さいほど作りやすいので。そして、小さいものが無数にあった方が強いんですよね。蜂の巣穴と一緒で、密接にくっついている小さなつながりがあると、強度がある。だから「蜂の巣穴をつくれ」という。

スローガンがいつも斬新ですね!

河野社長

最近、若い後継者たちが念仏のように、理念理念って言い始めてうるさいんですよ(笑)。街中の、自由に使っていいスポットがあるんで、そこに決算書を持ち込んで「どうしたらいいべー」みたいな話をし始めたり。

そうやってこの地域には、進化させていることと、大事に守っている伝統と、両方がありますが、どう両立させているのでしょうか。

河野社長

伝統って、守り続けなきゃいけないのは、「変わらないと死ぬ」という感覚。それぐらいの覚悟で変わり続けないと。

これは震災の影響でじゃなくてですね、元々、環境が変わって三陸沿岸の魚が全然とれなくなったんですよね。「魚がとれないのに味噌醤油買うわけにいかないよね」って、それはそのとおりなんですよね。さらにコロナみたいなことが起きると、飲食店さんも「お客さん来ないのに醤油味噌買うわけにいかないよね」ってなりますし。

さらに昔は醤油を一升瓶で10本入りで買って納屋に置いて、お正月に集金にきますから、っていう商売ですよ。いま、小さくても1ヶ月もつじゃないですか醤油って。昔一升瓶だったものが、今180mlでも多い。10分の1に市場がシュリンクしているんですよね。

そんな、何が起きてもおかしくない状態のときに、変わり続けなきゃいけないんですけど。その時に理念がなかったら、糸が切れた凧と一緒で飛んでっちゃって墜落すると思うんです。その大事な糸が経営理念だと思うんですよね。

食への感謝を広げることや、命の環をつなぐぞっていうために、一緒にみなさんとものづくりをしていく、という理念ですね。

河野社長

地域密着型の中小企業なので、地域社会の持続可能性を追求することが、今圧倒的に必要なんです。だから海外の有名なシェフのところとお取引をして、実際に岩手とか陸前高田に来て、いろんな産物を見てもらう。

今度イタリアにも会社をつくりますけど、商社機能として自分たちの醤油味噌だけじゃなくて、日本の食材も一緒に広めていく。さらに今、フランスのシェフから「CAMOCYのスタッフとうちのスタッフを交換留学させませんか」と申し入れがきています。

そうやって、お互いに新しい価値が生まれて、素材の価値も高まって、地域の生産者が「おらが村のものはヨーロッパの三つ星のレストランのシェフに尊重されて、量は少ないけれども使われているんだ」とか、「モナコ公国の王室の料理でうちの品を使ってるんだ」と言えれば、プライドになる。

一番大事なのは自分の生き方に誇りをもてることだから。それをやりながら外貨を稼ぐ、外から人に来てもらう。さらには、外からエネルギーを買わなくてもいいように自給自足する。そのビジネスモデルを構築して地域の中で共有していくと、持続可能になる。最初に言っていた、新たな生命維持の機能を、自分たちもつくれるんじゃないかという挑戦になっています。

でもそれも、醤の醸造文化を広げるという理念があるから。理念に合わせて経営方針、経営計画を組み替えて。これは進化なんです。地元だけではなく海外にも広げてやる、というチャレンジは、ひとつも経営理念からぶれていることではない。

元々の根本の意味を、いまアップデートし続けている。

河野社長

それができなかったら潰れるだけなので。できるかどうかの挑戦を、常にしていくっていう。その目的を会社側の人たちと共有する。自分たちは何のためにやるのかという。そのための理念であって。という考え方で。

いろんなことにチャレンジしながら、一貫していてすごいですね

どんどん外に出ろ!
活発な微生物として、世界中を豊かにしろ!

この先の未来に、本当に持続させたいものってなんだろうって考えることがあるんですけど、いま、何を持続させたいですか?

河野社長

ひとつは、いま、地元の小学生とか中学生とかに話をする機会がしょっちゅうあるので、その子たちの夢が実現するためにはなにをしたらいいか。その子たちを、世界に向けて外に出すためにはどうしたらいいか。それからもうひとつ、外で、世界で活躍した人たちが、戻ってきたいと思ってくれるために俺たち大人はどうしたらいいか。

いま、自分の息子はロケットの開発をしていますけど、将来的には陸前高田に戻ってきて、この場所に貢献するための仕事に就きたいと言ってます。

そうおっしゃってるんですか。

河野社長

はい。人口が減るから「お前たち外に行くな」ではなくて。「どんどん出ろ。世界をかきまわせ。活発な微生物として外に出ろ!」という。その循環、人の循環も、廻していくっていう。

世界中の土壌を豊かにしてほしいと願って送り出しているんですね。

河野社長

もう、隣の畑も耕してしまえ、という。

河野会長

震災からここに大学を誘致したいって人がいて。ナントカ大学のでっかい建物を建てて、って。でも僕は違うと思うよって言った。この街全体のいたるところが大学っていう発想の方がいいんだ。街を学校にする、という発想。いままでと違う考え方で、いろんな経験ができますよといって、要するに交流人口を増やすということをテーマにして、学びはいっぱいあるよ、と。

河野社長

先週、フランスのリヨンに行ったんですけど。ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)っていうミシュランの三つ星のレストランがありますよね。彼は自分たちのレストランを学校にしたんですよね。そして街にはセカンドっていうお店がたくさんあって、生徒が振る舞う料理とかサービスは、勉強だから安いんですよ。それが観光になるんですよ。街全体が学校のビジネスモデルになってますよね。
あとはサッカーの岡田監督がいまは今治にいて、サッカーの学校をつくっていますよね。そしてスタジアムを中心にしたまちづくりがはじまって、人口十何万の街に、年間何千人という移住者が生まれていて。そう、街を学校にするというモデルは、日本が本当に必要とするものなんじゃないかと思いますね。

空から、風から、見えない力が、
未来をつくる子どもたちにうつれ

最後に、見えないものについて感じていることを教えてください。

河野社長

「神の見えざる手」というのはあると思っていて。だからご縁があって、天野社長と会長が知りあったり。何らかの意思はあると思うんですよね、見えないんですけど。大きなことを言うようですが、同じ岩手県出身の作家の宮沢賢治さんは、その宇宙の意思がある程度見えた人なんじゃないかと。

見えないもの、光とか風も見えないんですけど、それが未来をつくる子どもたちにうつれ、というのが稲作挿話の一番最後に出てくる言葉なんですけど。それってすごく大事な要素で。空から、風から、見えない力がその子どもにうつれという。

読んでみます…!!

河野社長

はい、「春と修羅 第三集」の「稲作挿話」のなかの「あすこの田はねえ」という一篇一説の一番最後の文章にでてきます。

 ……雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ……

宮沢賢治『春と修羅 第三集』中『稲作挿話〔あすこの田はねえ〕』より


我々やっぱり、宮沢賢治と同じ岩手県人ということに、すごく誇りを持っているので、「世界全体が幸せにならないうちは個人の幸せはありえない」という崇高な理念のもとに、見えない手をかき集めて、世界をつくっていきたいんです。

天野社長

会長がおっしゃった、ここを大学にするって言うのは、本当に素晴らしいなと聞いておりました。ここへくると、人生への学びがありますから。だからうちの社員でも、何回もここへ来ているのがいるんですよ。なぜならここに来ると、日々悩んでいることが、実は小さなことだっていうのがわかる。
文化庁元長官の近藤誠一さんにもね、取材を受けていただいたんですが、「日本から文化系の大学がどんどん淘汰されているけど、人生の岐路に立った時に、哲学とか文学とか、若い時に読んだものが役に立つ。だから人文はすごく大事だ」という話をされていますよ。それを学べる場所なんですよ、ここは。ここへ来るとね。人生の岐路から、立ち上がった人たちが、みんないるから。

河野社長

そうですよね。なんだか今、絶望的な話ばっかり聞こえて。うちの国だけがよければいいんだ、みたいな空気がどんどん主流になっていますけど、そうじゃない考え方があるんだと。
八百万の神様に感謝をしながら生きるというのが、日本の文化だと思うんですよね。見えないけれど、今生きていられるつながりに感謝して、手を合わせて生きる。そのことが押しつけではなくて世界中に伝わると、世界平和は実現できるんじゃないかと。その心が本業を通じて、徐々に楽しく伝わっていけばいいな、と思っています。

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。