この世界の仕組みを、想像力で解き明かす。<前編>
石川さん(漫画家)
目に見えない菌たちを、もう一方の主人公たちにして、発酵の知られざる世界を描いた漫画『もやしもん』。架空の農業大学キャンパスを舞台に生き生きと活躍する登場人物たちの姿は2度にわたってTVアニメ化もされ、一大ブームを起こしました。現在、作者の石川雅之さんは一転して惑星を主人公にした作品『惑わない星』を連載中です。小さな世界と大きな世界、その2つに見出した共通点をじっくりとうかがいました。
文/神吉 弘邦  写真/MOTOKO
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石川さんは、特に理系の学問をやっていたわけではないんですよね。

石川さん

全然です。もう、さっぱりわからなかったですし、むしろ理数系は嫌いでした。ちゃんと菌のことを調べ始めたのは、『もやしもん』の連載が始まってからですね。1話目で菌を登場させちゃったから、2話目以降にも出さないといけない。そこからは図書館に毎日行きながら、「エライものに手を出したな」と思っていました。

石川雅之さん/1974年大阪府堺市生まれ。漫画家。緻密な線の絵柄を特徴とする作風で、アシスタントを雇わずにすべての作品を一人で仕上げることで知られる。1997年『日本政府直轄機動戦隊コームインV』でデビュー、初連載。1999年、『神の棲む山』(『人斬り龍馬』所収)でちばてつや賞準入選受賞。2004年〜2014年『もやしもん』を「イブニング(のち月刊「モーニング・ツー」)」で連載。同作で第12回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第32回講談社漫画賞受賞。2008年〜2013年『純潔のマリア』を「good!アフタヌーン」に連載。2作品はTVアニメ化された。2015年より『惑わない星』を「モーニング」に連載中。

本にあたるだけではなくて、『もやしもん』ではしっかり現場で取材活動をされていますよね。

石川さん

最初に和歌山の高垣酒造さんへ一人で行ったんですが、そちらにいる方が東京農大出身だったんです。それで「小泉武夫先生に会ってみたら?」と言われたので農大に電話して、何のつてもなく訪ねたんですよ。

『もやしもん』(講談社刊)全13巻
もやし屋(種麹屋)の次男で、普通は目に見えない菌が肉眼で見える青年、沢木惣右衛門直保(さわきそうえもんただやす)が、風変わりな仲間たちと農大で成長する1年を描く。石川さんいわく「農大で菌とウイルスとすこしばかりの人間が右往左往する物語」。緻密な取材に基づく人気作品で、登場する菌は150種類を超える。

そもそも、なぜ菌が見えるような話にして、彼らが喋れるようにしたんですか?

石川さん

出発点はその酒蔵さんなんです。何の発酵の知識もなくお酒のタンクのところに連れて行ってもらったときに「ほら、プチプチ言う音が聞こえるでしょう。私たちは菌の声を聞くんです」という実体験のお話を聞いたとき、「酒蔵の人が聞こえるなら、実際に見えてもいいんじゃないかな、漫画だから」と発想が広がった感じです。その後で杜氏さんであったり、他の方たちからの話も聞くうちに「ああ、擬人化してよかったな」と思いました。

最先端の研究では、ある種のセンサーを使って、微生物が元気なのか、弱っているのか、はぐれていないかなど調べられるようになったんです。死んでいるときと、生き生きしているときで、光り方がちがうんですよ。わざわざ人間がふやして顕微鏡で見なくても、AIが「これは麹菌だね」「こっちは酵母菌だ」とか教えてくれるようになるかもしれません。

石川さん

そんな便利なものがあるなら、うちの冷蔵庫に付けてほしいです。「もう腐っている」とか「日にちが過ぎているけど大丈夫」とかすぐわかる。ちょっと前にボトルでサラダをつくる料理(ジャーサラダ)が流行ったじゃないですか。自分で手を突っ込んで。「そんなのカビるに決まってるでしょ!」みたいなの。「手の菌、いっぱい入ってますよ」とか教えてくれたら、あんな危ないものもなくなるでしょうね。

『もやしもん』にたくさん登場する菌の中で、石川さんの「好きな菌ベスト3」はありますか?

石川さん

これは連載しているときにもよく聞かれたんです。大人な答えをすると、全部が好きです!

(笑)。

石川さん

素直に言ったらカビなんて全部嫌いじゃないですか。部屋がカビていたら拭いちゃうし。でも、好きな菌と言われたら、どうしても描く側としては描きやすいものになります。あとは「便利だなぁ」という感じで見た菌だと、酵母になりますね。

最初に訪ねたのが日本酒関係の方だったというのもあって、そこから東京農大で花酵母について知ったりだとか、いろんな方たちのお話を聞けました。どの方の酵母のお話も面白かったです。

さまざまな種類の菌たちが、生き生きと活動する『もやしもん』の世界
(『もやしもん』② 103ページより)

『もやしもん』の物語では、いろんなお酒が登場しますね。

石川さん

基本は「どの酵母を使っているか」みたいな話です。フランスに取材に行っても、ドイツに取材に行っても、酵母のお話になる。それこそ、菌が大嫌いなアメリカだって(笑)、酵母の話にはなる。途中から「こういう酵母がいるから話にしよう」という感じになっていきました。

お酒を造っている酵母は人間との付き合いがとても長くて、いい奴なんです。いい仕事をしてくれますから。酵母の中でもサッカロマイセス属の仲間はとても安全な菌と言われているんです。からだの弱い人が微生物に触れると感染症になったりするけれど、その心配もほとんどないから、世界でいちばん危険のない微生物かもしれません。

石川さん

研究者の方に好きな菌を聞いたら、だいたい「大腸菌」という答えが返ってくるんです。「すぐ増殖するから可愛い」と。

大腸菌は、いわゆる遺伝子工学の研究をやっている人にとって、いちばん身近な菌です。実験室で使う大腸菌はO157(腸管出血性大腸菌)などとちがって、おとなしくて安全ですし。大腸菌はペットのように、長い間かけて人間が育てているうちに、なかよくなっているんですね。

はたして、酵素は擬人化できるのか?

今日、一緒にインタビューにうかがっている酵素くん。「酵素の働きを擬人化したいと考えたとき、世に生み出された」という設定があるんですが、菌とは性質が違うものですし、なかなかイメージが湧きづらいと悩みます。生き物のような描き方ができるのか、あるいは透明人間みたいな感じになるのか……。

石川さん

きっと、酵素というものの「正体」に関わるんでしょうけれど、菌が持っている酵素とは、言ってみればスキルというか、職能にあたるんでしょうね。酵素自体がキャラクターとなるには、どう表現すればいいのかな。

たぶん、僕たち酵素がやっていることと、菌たちがやっていることは、人間から見るとほとんど同じなんです。もしかしたら菌にとって僕たちは、胃や腸といった内臓のような働きなのかもしれません。でも、僕たち酵素の中には菌の外に出て働く酵素もありますから、その場合、どちらかというと道具になるのかもしれません。

石川さん

そこをどう描くかですね。道具のようでもあって、スキルのようでもあるとなると、すごくキャラクターにはしにくそうです。

持ち主に内面化している場合もあれば、特殊能力のように発現する場合もあると。どうも、そんな漫画があったような……。

石川さん

なんだか『ジョジョの奇妙な冒険』っぽくなってきますね。

(笑)。酵素の姿を想像すると、はたして道具のような機械的なイメージになるのか、それとも生き物と機械の中間的なロボットっぽいイメージか。漫画という題材で考えるとイメージが固まってくるように感じるので、やっぱり偉大ですね、漫画って。

菌と酵素はたしかに一体な面もあるんですが、例えば、お米のデンプンをグルコースに糖化するのは、本体であるオリゼー菌(ニホンコウジカビ)がいなくても、とりだした消化酵素だけでもできちゃいます。工場が自動化されて、人がいなくなってもできちゃうみたいなことが、僕たち酵素の世界でも起きているんですね。菌たちから見ると無人化じゃなくて、無菌化です。ただし、オリゼーの仕事はそれ以外にいっぱいあるので、すべて僕たち酵素でやるのは無理なんですが、発酵なんかの一部の仕事は代行できるんですね。

石川さん

そういえば、自動車のボディーの曲線って、最近まで熟練の職人さんによる手作業でないとできないと言われていたのが、高性能なロボットハンドみたいなものが登場してできるようになったそうです。

例えば、その職人さんの手仕事だけを切り取って「ここは作れるよ!」というのが酵素の役割だとしたら、仕上がりの最終チェックは、やっぱりコウジカビにやってもらうことになるんでしょうか。

なんだかチェック役のコウジカビの絵が浮かんでくるようです。ちなみに彼らのスキル、つまり酵素の働きを『もやしもん』の中で絵として描いていたとしたら、どんな風に描かれたのだろう、と興味が湧きます。

石川さん

そこなんです。おそらく酵素は擬人化できないな、と連載当時に考えました。だから、デンプンを糖化させる場面などでは、そのあたりの描写をうやむやにしています。うーん……絵にするなら、菌が手に何かを持つのかな。でも、小道具でもないし。酵素のキャラクター化って、すごく難しい挑戦だと思いました。

酵母がデンプンを糖化し、ブドウ糖に変えていくシーン。
(『もやしもん』① 171ページより)
人は人、菌は菌の世界で生きている

『もやしもん』という作品では、風疹やポリオの話に触れたり、社会問題化していることをポッと話題に入れていますよね。例えば、食品添加物がそうでした。石川さんは「それを使うかどうか選べるのが本当の自由というものだろう」といったことを描いていましたよね。

石川さん

そうですね。リンゴだって豚だって、人の食べ物が最初はぜんぶ野生から始まっていると考えたら、田んぼも牧畜も、ある時代からすれば最先端テクノロジーです。最近のものだけ「ダメ!」っていうのが、ちょっと不思議に感じていたんですよ。畑の風景を見て「ああ、日本の原風景だ」って言うことがあるけど、僕は「あそこは工業地帯ですよ」ってずっと思っていましたから。

そういった疑問からです。料理する時間がなくて、急いでいるときには「添加物を使えばいいじゃない」と思うようになったのは。

僕たち酵素も、菌たちと一緒に活動していると何も言われないのに、道具として切り取られた途端、「添加物だ!」って言われちゃうんです。「同じものなのになんで?」って思っちゃうんですけど。

石川さん

現代の時代感覚だけで切り取っちゃうと、添加物は悪者っぽく見えるんですよね。

『もやしもん』という作品の中で面白い設定は、人は人で生きていて、菌は菌で生きている。そういった2つのストーリーが流れているところでした。

石川さん

俗に「悪玉菌」って人間から言われている菌を登場させるときに、「やっぱり悪い顔してるんですか」と聞かれたんです。でも「菌には別に悪気があるわけではないな」と。そこからです、「人は人、菌は菌」と思い始めたのは。

最近、新型コロナウイルスを描く機会をいただいたんです。世の中的には、これを悪い顔で描くべきなんでしょうけど、別にウイルスに悪気もない。以前から自然界にいて今回たまたま迷惑をかけただけで、悪い顔はしてないよなと思って、いつも通り描いたんです。

家族会議もしました。丸描いてちょんの絵を見せて「それでいいんじゃない」っていうことになりましたけど、「世間に叩かれるなら、家族で叩かれよう」と覚悟を決めて。それをみなさんには許容していただけて助かったなって。

「J-IDEO+ 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」(中外医学社)

どちらに描かれたんですか。

石川さん

岩田健太郎先生とのご縁で、たまたま医学系の雑誌の表紙をやらせていただいていて、そこで描いてしまいました。

岩田先生との共著では、こちらの本の巻末に収められた対談も素晴らしかったです。

『もやしもんと感染症屋の気になる菌辞典』(朝日新聞出版)

石川さん

この本でもMERS(中東呼吸器症候群)コロナウイルスを描いたんです。いまだに中東の方では30%〜40%近い致死率がある。それも全然、怖い顔では描かなかったんですね。「今、『もやしもん』でコロナを描くとしたら、どういうふうに描きますか?」と聞かれることは結構あったんです。「沢木(菌を見ることができる主人公の青年)が解決してくれるんですか?」とか。

でも、あの主人公は、きっと何もしないと思います。この状況では、もうウイルスが見えたからといって、何ができるわけではないから、ただ日常を過ごすんだろうなと思いました。政府と学校の言うことに従って、マスクをして、人に会わないときにはちゃんと家に居て、手洗いとうがいをするという日々を過ごすと思うんです。

漫画的に言えば今、ほとんどの漫画が、逆にフィクションになっちゃったんですよ。コロナのない世界を描いていると、現実と一気に離れてしまう。「日常もの」がフィクションになる、という変な逆転現象が起きていて、現代を舞台にしている作家さんたちは、みなさん苦労していらっしゃいますね。

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。