文/神吉 弘邦 写真提供/JAMSTEC
text_Hirokuni Kanki
photos courtesy of JAMSTEC
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深海の熱水が噴き出る場所に「生命起源のヒントがある」と研究してきた高井先生ですが、研究者になろうとしたのはどうしてですか?
高井先生
僕は「世界で一番になれるもの」を探して研究者の道を選びました。京都大学に受かって入ったのが農学部の水産学科でしたが、これもノーベル賞を狙ってのことなんですよ。
高校生の頃から志が高い……!
高井先生
野心が大きいんです(笑)。当時、注目を浴び始めていた分子生物学ができる環境として、京都大学では微生物の研究室を選びました。指導教官からは「毒素をつくる遺伝子の研究」と「温泉や深海の熱水に棲んでいる超好熱菌の研究」という2つのテーマを与えられて、どっちをやりたい? と。
迷って友人に相談したら「超好熱菌のほうが生命の起源と結びつくからロマンがある。ノーベル賞より大きな偉業が成し遂げられるぞ」と言われて「世界の誰もが解決していない生命の起源を解くんだ!」と深海でのチャレンジを誓いました。
僕は科学誌で、海底チムニー(熱水噴出孔)の写真を見て「こんなにカラフルな生き物たちが海の底にいるんだ」ってビックリしたことがありました。
高井先生
海そのものが大好きになったのは、研究者になってからずいぶん後なんです。最初は深海に潜ることを楽しむより、自分が求めるサンプルを取ろうと頭がいっぱいで、潜航する喜びなんていうのは全然感じてはいませんでした。「早く行って帰って来たい」という感じ。なにしろ怖いですし。
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海洋研究開発機構(JAMSTEC)という組織で、高井先生の生命の起源を探る研究は、どんな体制で進んでいるのでしょう。
高井先生
私が率いているのは「超先鋭研究開発部門」と名づけられた部門です。つまり、ものすごくアバンギャルド(前衛的)な研究をすると宣言している組織なんですね。
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高井先生が有人探査にこだわる理由とは?
高井先生
理論・実験・観測とある科学のうち、僕は観測重視派です。直感こそがサイエンスの原動力だと思うんです。だからこそ、現場に行って直感を得ていない研究者のことは信頼できません。自分で見た経験として、そこで生まれるリアルさこそが、人生やサイエンスすべての原動力だと思っているので、それを支えたいというのがまさに今の思いです。一番手っ取り早く切られてしまうところなので、だからこそ今のポジションにいるわけですね。
高井先生が見ているリアルな深海の世界って、どんな感じですか?
高井先生
砂漠の中にとつぜん現れるラスベガスみたいに賑やかな場所があって、摩天楼のように生物がいるんです。そこではエネルギーとして熱水が噴いている。チムニーが壊れて、またすぐできるんです。生命が生まれては壊れ、また次々にできる。その光景を見ると、常にエネルギー供給があるその世界自身がハビタブル(生命が居住可能な環境)であると直感でわかりますよ。
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若い頃には、酵素の研究をされていた時期もあると伺いました。
高井先生
京都大学で博士論文を提出するまで、ある酵素の熱安定性について研究していました。普通、酵素は私たちの体温ぐらいで働くものが多いです。その生物のいちばん活動的な温度で働くようにできているんですね。PCR検査なども、そうした性質を利用して行われています。
そうやって酵素を役立てられる。でも、どうして壊れるか、あるいはなぜ壊れないかという本質的な事象が、タンパク質の研究者を50年以上も悩ませてきました。遺伝子の配列が決まれば、熱に対する酵素の安定性が決まります。すると、例えば「どんなに加熱しても、ゆで卵にならない卵」というものだってつくれるんですよ。
温度と酵素の関係に、注目してもらえてうれしいです!
高井先生
そうしたルールを知るうえで最高の題材が「超好熱菌」と言われる菌で、その酵素の謎を解きたかったんです。でも、僕が博士課程のころに世界中で構造解析が流行り出して、その謎がどんどん明らかになっていきました。自分が解決するんだと思っていた問題を、すでに先人たちが解決しかけている。これは、急いでほかのことをしなくてはマズいぞと。
分子生物学が大きく動いたのは、80年代の終わりから90年代にかけてだったと聞いてます。90年代に入ってくると、遺伝子配列を見つけるのも、当たり前になってきたとも。
高井先生
まさにバイオテクノロジーのクローニング全盛期でしたが、微生物の世界はやや遅れていたんですね。今で言うメタゲノム、環境のDNAを直接調べる方法がようやく出始めました。その方法で温泉や深海熱水を調べたら、まだ誰も見つけていない太古の微生物が見つかるはずだと気づいたんです。その研究をするにはJAMSTECがナンバーワンの環境でした。
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27歳でJAMSTECに入った後、研究を繰り返していくうちに研究者として世界的に認められていきました。
高井先生
僕がやりたかった研究は、深海熱水にラスト・ユニバーサル・コモン・アンセスター(Last Universal Common Ancestor)、通称「LUCA(ルカ)」と呼ばれる微生物、つまり「最後の共通祖先」を見つけに行くことでした。実際にそれらしいものが見つかって論文にできたことで、三十代半ばよりちょっと前にして自分の名前が世界に通るようになりました。そこから、研究者として心にだいぶ余裕が生まれましたね。
誰もやっていない研究を、意識して選んだのが実りましたね。
高井先生
そうです。先人がいなかったのが良かった。その頃、僕の上司には掘越弘毅(元JAMSTEC極限環境生物圏研究センター長)さんという人しかいなくて、研究に対していっさいの干渉がなかったんです。「面白い論文を書きなさい」ということだけが求められ、本当に良かったですね。自分が目指していた生命の起源に近づく研究を進められるようになりました。
よく研究者の方は、ある時期から自分の研究に対して「おっ、これってやっぱりすごいんだ」とそのテーマに「ほれ直した時期」があると言っています。先生はどうですか?
高井先生
僕にも35、6歳の頃にありました。よく「解脱(げだつ)した」って表現しているんですが。
悟りを開いちゃった!
高井先生
本当にそんな感じです(笑)。世界中の熱水を訪ねて研究するうちに、温泉のバックボーンにある岩石や地質、化学や物理という条件が、そこに生きている微生物と結ばれて、お互いの関係性のうえに成り立っていることに気づいたんです。
その瞬間、この法則は地球だけじゃないし、ありとあらゆる宇宙空間にも通用する一般則であると自分の中で確信が得られて、本当に曼荼羅(まんだら)が描けた。それはもう解脱としか表現しようがなくて。それが論文になるのは10年後でしたが、自分の心の中ではつながった。先に確信が生まれ、後から実証していったんですね。
酵素の研究者さんに聞いても、世の中の動きなども含めて、いろんなものが「つながっている」とわかるときがあるそうです。その結果、たくさんの可能性が見えてくる瞬間が、いちばん面白いんですって。
高井先生
JAMSTECで世界中の人、あるいは日本中のいろんな分野の人と研究するようになって、微生物学や生物学だけではない地質学、地球化学の知識が自分の中でつながって1本の線になったとき、まさにその感覚になりました。それはJAMSTECに来て良かったことのひとつですね。
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先生が「生命の起源を探る」というテーマに行き着くところまで、どんな紆余曲折があったのでしょうか。
高井先生
僕は小学校4年生のとき、京都の街なかから滋賀県北部の田舎に引っ越したんです。遊び場は、基本的に川と湖。ごみごみした下町から大自然に引っ越して、いかに人間が自然の中に包含された、ちっぽけな存在かと思いました。生態学などで言う「環世界」、つまり人間が大きな世界の一部であるというイメージを小学生なりに感じたのが始まりです。
でも、僕は理系少年じゃなかったので、自然の神秘などには魅せられていませんでした。単純に生物学が流行っていたので、「ここで名を上げれば世界一になれる」と思ったんですね。生命の起源に魅せられた理由は、それが生物学上でナンバーワンの問題だからです。
利根川進博士(ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者)が「生物学者が良くないのは、つまらない問題に引っかかることだ」と本で書いていました。すべての問題は興味があって面白いんだと。いかに「つまらない面白さ」ではなく、「解くべき偉大な目標に出会えるかが大事」と言っているんですね。
なるほど、当たっているなと思って。やるならば人生をかけないと解決できないような大きな問題に取りかからないと意味がないと。人類が2400年間、解いたことがない生命の起源を明かすことを目標にしました。そういう野心的な理由でこのテーマに行き着いたんです。
まるで、インディ・ジョーンズのような探検家の姿を連想しました!
高井先生
探検家には近いと思います。とにかく、いちばん最初に何かがやりたかったんです。だから、スタートアップを起業したい人と、研究者になる人の心持ちは似ているんじゃないかな。すべてのキャリアを自分で決定することができる。自分の人生にリスクをかけて、自分の思い描く通りに生きていくことができる。研究者は、そんな素晴らしい職業であると力説できます。
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先ほど「海が好きになったのは、研究者になってかなり後だった」とおっしゃいましたが、具体的に自分が変わるきっかけがあったんですか?
高井先生
JAMSTECに入った後で1年間の海外留学をさせてもらったんです。そこはアメリカの砂漠で地下の微生物などを研究する施設でしたが、砂に囲まれた環境で暮らしているうち、何か足りないとずっと思っていました。
ある日、出かけた先でフェリーに乗って海の景色を見たとき、ふと「海っていいよなぁ」と感じたんです。それまで、そんなことを思ったことがなかったのに、初めて自分は海が大好きだと気づいたんですよ。砂漠の環境にいなかったら、海に対する憧れをそこまで感じなかったと思います。その日から「これからは深海の研究を一生かけてやりたい」と思いました。それが深海にのめり込んだきっかけです。
今までとちがう環境になった時に初めて、「実はそれが大好きだった」と気づくことってありますよね。
高井先生
そのほうが「本当に好きなもの」を見つけられるんじゃないかな。だから今、若い子たちが「昆虫が好き」とか「生き物が好き」という理由でそのまま研究の道に入ってくるのが、あまりよくないんじゃないかと思っていて。その好きが「本当に好き」なのかを、自分の人生の中で一回見直してほしいと思うんです。
僕は、それまで好きでもなかったものが本当に好きなことだと気づいたので、一生手放さないぞという強い覚悟が生まれたんですね。それまでは、研究も海も、それほど大事に思っていなかった。それに気づいたから、自分は変わったと思います。
ときどき、「世界から酵素がいなくなったらどうなっちゃうか」という話を、研究者さんとすることがあるんです。僕が家出してみたらどうなるのか、思考実験をするという。
高井先生
それはいいですね。今、当たり前のようにしてあるものがなかったらと考えたとき、きっと人は大事さがわかるんですよ。
現場での観測を重視する高井先生の話には、説得力がありました。後編では、生命の本質をめぐる2つの立場の解説から始まり、深海熱水が生命誕生の起源だとする学説の詳しい説明、さらには宇宙酵素くんが実在する可能性まで。夢とロマンにあふれたお話をお届けします。
<後編>へ続くこの世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。