脱炭素社会に向けて、キノコの力を最大化する<前編>
五十嵐圭日子さん(微生物学者)
気候変動の原因となっているCO2の排出。石油や石炭などの化石資源の使用を控えない限り、増大する一方です。これまでの生活を変えるために注目されているのが、バイオマス資源。キノコなどの微生物が持っているセルロース分解酵素を利用して、循環型社会の実現を目指している、東京大学の五十嵐圭日子先生の研究室にお邪魔しました。
文/神吉 弘邦 写真/MOTOKO
text_Hirokuni Kanki
photos_ MOTOKO

東大の農学部(弥生)キャンパスに研究室を構える五十嵐先生は、どんな研究をなさっていますか?

五十嵐先生

ひと言で表現すれば「化学の反応をすべて酵素で置き換えよう」という研究です。私たちの暮らしを支えるこれまでの化学産業は、そもそもエネルギーや物質を使いすぎていました。それを、いかに「生物っぽく」やるか。生物はすごくきれいにこれらを動かせる技を持っていますが、それは酵素がやっているからです。

五十嵐圭日子(いがらし・きよひこ)さん/1971年生まれ、山口県出身。東京大学 大学院農学生命科学研究科 生物材料科学専攻 森林化学研究室教授。1999年東京大学 大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。学生時代は米国 ジョージア大学派遣研究員、学位取得後は日本学術振興会特別研究員、スウェーデン ウプサラ大学博士研究員を経て、2002年より東京大学 大学院農学生命科学研究科助手、07年より同助教、09年より同准教授。16年からフィンランド VTT技術研究センター客員教授を兼務。21年より現職。木や草からエネルギーやマテリアルを生産する研究の第一人者。環境省、農水省、内閣府等での大型プロジェクト審査委員、推進委員、評価委員など多数。

さっそくほめられたみたいで、なんだか嬉しいな!

動かせる技とは、酵素反応の「分解」と「結合」を指すのですか。

五十嵐先生

例えば「分解」というとすごく専門的な感じがしますが、人間も消化酵素を使って澱粉(でんぷん)を食べていますよね。それは、澱粉を栄養に換えられる分解酵素が体内にあるから。逆に、木を食べて栄養にしていないのは、そうした分解酵素を持っていないからです。

私たちが「バイオマス(化石資源を除いた生物資源)」を活用するには、まず分解する必要がある。

五十嵐先生

そうです。私たちの研究室では、バイオマスを生物学的に変換して、「新しい資源」として使おうと考えています。バイオマスをいろんな加工物に変換するには、分解酵素が必要になる。それをいかに使いこなしていくか調べています。そこで着目したのが、キノコがつくる酵素でした。

キノコも酵素をたくさん使って分解しています。

五十嵐先生

私が林産学科にいたときのことですが、当時の研究でビックリ仰天してしまったんですよ。おがくずでキノコを育てる実験でしたが、植菌をしてちょっとの間でキノコがみるみるうちに育ったんです。おがくずのほかにも、割り箸だったり、爪楊枝や新聞紙だったり、いろんなものを放り込むと、何でも食べてしまう。1週間ほどで溶かして、自分たちのエネルギー源にしてしまえる。「これは、間違いなくすさまじい仕組みがあるに違いない!」と思いました。

バイオマスって、酵素がなければ数百年とか、ひょっとしたら千年単位で残り続けるものですよね。酵素を使ってそんな短期間で分解して食べてしまうなんて、キノコってすごいですね。

五十嵐先生が取り出したのは、ツガサルノコシカケの標本。カチカチに固くて、プラスチックなどの代わりに使えそうな強度がある
数億年かけて貯まったものを、今、数百年で使い切ろうとしている

あらためて五十嵐先生が「バイオマス」を研究するのは、どんな理由からでしょう。

五十嵐先生

これからの社会で、石油や石炭などの化石資源を使ってはいけなくなるからです。それは燃やした分だけCO2が出るから。化石資源は、動物と植物の死骸が何億年もかけてつくったものですよね。土から掘り出さなければ、そこに溜めていたCO2も地球の表面に出なかった。

どうやって酵素が化石資源をつくったのかは、土の研究者、藤井先生の回で詳しくお話をしてもらいました。

五十嵐先生

上昇してしまったCO2濃度を下げるのは、光合成です。本来、植物が吸収する分だけしか人間たちはCO2を出してはいけない、ということがカーボンニュートラルの考え方です。

将来、化石資源を人間がほぼ使っちゃいけないという世界が来るはずです。例えば、ガソリンは今だとリッター百数十円で買えますが、本当にそんな安い金額のままでいいのか。各国で検討されている「炭素税」などを足していくと、私の計算ではリッター300円〜400円ぐらいまではいくはずです。

えっ、そんなに!?

五十嵐先生

そんな時代にはガソリンだけでなく、エネルギー価格がとんでもない金額になります。すると、今の社会全体の仕組みをどこかで考え直さなくてはいけません。例えば、今まで使っていたものをもう1回使いましょうとか、製品の寿命を長くしようとか、そういう話です。

省エネや、サーキュラーエコノミー(循環型経済)という言い方をしますね。

五十嵐先生

数億年かけてたまったものを、今、数百年で使い切ろうとしている。これは貯まっていく100万倍の速度で使っているということになるんです。こんな速度でエネルギーや物質を消費していったら、いずれにせよ地球はダメになってしまいます。

古生物学の時代でいうと、大きな隕石が地球に落ちたり、大噴火があったりしたのと同じレベルで今、すさまじい環境変化が起こっているのかも?

五十嵐先生

本当にそう。そこに入り始めているということに、どれだけの人が気づいているか。未来を考えたときには、これからはさらにCO2を出すような生活はやめたほうが賢明だということです。

酵素の力を活用して、新しい資源をつくる!

化石資源に替えて、具体的にはどんな資源を使おうと考えていますか?

五十嵐先生

今、地球上で私たちの周りにあるような有機物です。でも、お米とか麦とか芋とかを使ってしまうと、今後、人口が増えて食べ物が足りなくなるというのに、そういうわけにはいきませんよね。
だから、これまで使っていないような資源を使います。木材のうち、建築材や紙に使わなかった端材などを利用します。あとは草本系といって、草ですね。使いやすいのはサトウキビを搾った後のカス、お米を取った後の稲わら。そういうものから資源がつくれれば、石油を使う量を減らすことができます。

木材腐朽菌の酵素を使って、木材成分のセルロース、ヘミセルロース、リグニンの分解と合成を研究している五十嵐研究室。セルロースは、植物細胞壁の約50%を占める多糖で、地球上で最も豊富に存在するバイオマスだという。
(ディレクション:クドウミツコ イラスト:ウチダヒロコ)

そんな「未利用資源」は現在、どれくらいあるのでしょうか。

五十嵐先生

日本の国内だけでも何千万トンもあります。例えば今、日本で使われているプラスチックの量というのは、年間1,000万トンぐらいだと思うんです。そのうちの2割くらいを2030年までに他のもので置き換えなきゃいけない。すると、すでに何百万トンあるような未利用の資源を使わないと無理なんです。

幸い紙類だと古紙みたいなものが大量にあるし、あとは「林地残材」といって、森林でまだ残っているような木も何百万トンという単位であります。それを本当に使えるようにするためにするには、かなりいろんなことをしなきゃいけない。そこで酵素を使いましょうというのが私たちの研究です。

資源はあるんですね。そこで僕たちの出番だと。でも、酵素が仕事をするスピードというのは、それほど速くないからなぁ。

五十嵐先生

これ以上、一生懸命に頑張っても、酵素の活性は10%とか20%ぐらいしか上がらないと思っています。それをどれだけ効率よく動かせるか、どれだけ時間をかけられるかという話にこれからはなるでしょう。

やはり自然の速度というものに、人間の側も合わせるべきだと思うんですよ。エネルギーを使わず、ゆっくりでもいいから、ちゃんと変換できるような仕組みをつくる。それを真面目にやろうとしたら、酵素を活用する時代がやってくると思います。

人間社会で見直さなきゃいけないのが、そういう時間軸ですよね。できるまで数億年も待って資源を使う必要はないけれど、「自然界で数億年の成果のものを使っている」という意識は、ものすごく大事なんじゃないのかなと思いました。

五十嵐先生

私が研究を始めた時代は、酵素を使うなんて言うと、みんなにバカにされていたものです。今のように注目されるようになるとは当時、考えられていませんでした。

天野エンザイムの研究者さんによると、昔はバイオや酵素といえば食品や医薬品が主だったのに、今は「それもバイオや酵素の世界なの?」というくらいに扱う範囲が広がってきているそうですよ。

五十嵐先生

バイオマスを使うときに現状で課題とされているのが価格の高さです。でも、これは当たり前のことなんです。石油・石炭がなんで安いのか。これは過去に地球がつくったものだからです。

私たちの社会は、過去の遺産を食いつぶしているというわけですね。

五十嵐先生

そのとおりです。地球にこれだけ負荷がかかるような物質を使っているのに、地球に何もお返しをしていないんです。今の時代、フェアトレードという考え方がありますよね。

洋服を縫ってくれた人、チョコレートのカカオを育ててくれた人、その人たちに、ちゃんと正当なお金が届くようにする仕組みのこと!

五十嵐先生

そう。それと同じ考え方が「炭素税」なんです。地球に負荷をかけているのだから、地球に負荷をかけている分だけ、お金を返してちゃんと地球を修復するほうに使いましょう、と。そうなると、やっぱり石炭や石油ほど高いものはないという時代が近いうちに来ることになるでしょう。

バイオマスが高いと言われているのは今だけの話で、これからはコスト的には安くなっていくと思うんです。これまでを見ても、私たちが研究を始めた頃より10分の1ぐらいまで下がりました。研究を続けていけば、もっと下げることができると考えています。

化石燃料は、地球の貯金。それに対してバイオマスは、これから稼ぐお金。貯金に頼っていられるなら、もちろん楽だけど……。

五十嵐先生

そのうち、なくなっちゃいますからね。

フィンランドでは「ごみ」って、実は、身近な自然です

五十嵐先生は以前、フィンランドに滞在して研究されていました。日本との研究の違いを、どこに感じましたか?

五十嵐先生

そもそもの研究者たちのスタンスが違うと感じました。彼らは日本と違って、中学生が日本での高校生レベルぐらいの勉強をしています。生物の勉強もしかりで、生物系に進む人が圧倒的に多いです。

教育だけではなく、暮らしかたも違います。例えば、ごみの捨て方もすごく考えられていて、「バイオエコノミー(バイオマスやバイオテクノロジーを活用して生物圏に負荷をかけない社会)」になっています。そういった仕組みで社会が動いていく環境で育っているんですね。

フィンランドのデザインスタジオAivanが、科学者とコラボレーションしてデザインしたのは、キノコを素材に使ったヘッドフォン
(出典 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0405_00019.html)

日本で教育というと、教科書に書いてあることを学ぶのが中心で、あまり実生活に関連して見ることが少ないかもしれません。

でも、生物は生活の中にいっぱいあるものだから、本当は日本でもそんな教え方をしなきゃいけないのかも。考えると、深い話だなあ。

五十嵐先生

フィンランドは、むしろ「自然の話に結びつかないものはない」のですね。例えば「ごみ」って、実は、身近な自然です。食べたもの、捨てたものが地球のどこに行くのか、それがすべて考えられた仕組みになっています。日本では、ごみ箱に捨てたら終わりだとみんな思うかもしれないけど、本当はそうじゃないですよね。

僕が聞いたのは、毒キノコをただの毒としてじゃなく、むしろ毒成分を医薬品などの原料資源として有効活用しようという捉え方をしているところ。森が多くても自然資源がそれほど豊かでないから、かえって身の回りにある自然を活かす知恵がついたんですね。

五十嵐先生

ちなみに、私は映画の監修もしていまして。先日『せかいのおきく』という映画のバイオエコノミー監修をしました。そのときよくわかったのは、日本も昔はフィンランドのようだったということ。江戸時代までは、そういう生活を庶民から含めてみんなしていたんです。先進国のどこでもそうですけど、いつの間にか、そういう生活が忘れられているような状況なんですよ。

五十嵐研究室のドアに貼ってあったのは、映画『せかいのおきく』(監督:阪本順治、2023年)のポスター

日本の人たちは、そういう考え方をどこかに置いてきてしまった。でも、若い人を中心に昔の知恵に興味を再び持ち始めたと感じます。小倉ヒラクさんの回で話題にした近年の「発酵」ブームもそうですし。

五十嵐先生

ちなみに、私の自宅には「山」が付いているんですよ。

えっ!? どういうことですか?

五十嵐先生

自分が持っている土地の3分の2が山林になっていて、残り3分の1が自宅部分になっているという意味です。それにはどういう狙いがあるかというと、日本の国の面積って70%ぐらいが森林です。つまり、それと同じ比率になっている。この自宅の環境でバイオエコノミーや循環型の暮らしが実践できるのなら、日本全体でもできるんじゃないか、という発想です。

東京の人などは特にそうじゃないかと感じるのですが、自然といっても自分たちの「外」にある、無関係のものを扱っているような感覚があると思います。でも、さっきのごみの話と同じで、自分の暮らしと自然がつながっている感覚があったほうがいい。だから私は今後、地方都市のような環境のほうが多くのチャンスがあると考えています。

この世界のあらゆる場面で活動する酵素、その新たな可能性を求めて。
現在、さまざまな分野で活躍中の人々のもとを「酵素くん」と一緒に訪ね、お話をうかがうコーナーです。